在宅ケア
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患者コミュニケーションソースブック 
「ターミナルケア、在宅ケア」
在宅での看取り

さくらいクリニック 桜井 隆


- 医師向けの解説 -


ターミナル期の説明はバッドニュースの連続


 患者の生命が終わろうとしている、その事実を患者本人、家族にどのように伝えるか、医師にとってもつらい仕事といえる。情報開示に基づいたICが進みつつあるとはいえその歴史は浅く、患者、医者双方とも共同作業としての医療の構築には不慣れだ。いきなり手術か抗癌剤か?
そして延命治療は?と患者に選択を迫るのも酷な話だ。日常診療で予防接種をどうするか、生活習慣病をどうコントロールするかといった日常の選択の延長線上に重大な疾患に際しての自己決定があればばスムーズだろう。

患者への説明VS家族への説明

 ターミナル期の説明で医師を悩ませるのが告知や延命治療に関しての患者と家族の意向のずれであろう。入院時に医療者と家族の間ですでに密約?ができていて在宅ケアの現状では困ることもあるが、本来は本人の意思を尊重し、希望があれば在宅ケアが落ち着いた時点で病状、予後について段階的に説明すべきだろう。
しかし一般的にすべての人が病状や予後を明確に知りたいとは限らない現状では、医療者があまり告知、にこだわらなくても、それぞれの患者、家族関係がかもしだすあいまいな日本的な合意、といった形でも在宅ケアの継続は可能な場合も多い。

やっかいな?遠くの親戚

 本人の希望と同居家族の納得の上で在宅ターミナルケアをすすめていたところ、親戚から「こんな状態で家に置いといて、、一刻も早く入院させろ、」と怒鳴り込まれた経験がある。家族、兄弟間で告知ー非告知、入院ー在宅等の論争が本人そっちのけで巻き起こるケースも経験した。こういったことが起こりえることを事前に説明して家族、親戚間でも十分な話し合いをするように勧めたほうがいい。本人不在の論争にならないように注意が必要だ。

積極的治療と緩和ケアの双方向性

 ターミナル期の治療には症状のマネージメント、緩和ケアと、抗癌剤を続けるかといった積極的治療という2つの流れがあるが、ある時点で積極的治療は終了し緩和ケアが始まるという性格ではないことを理解してもらう。そうでないと一般病棟からホスピス病棟に変わった時、入院から在宅ケアに切替え退院した時にもう見捨てられた、と患者家族が思い込んでしまう恐れがある。モルヒネに対する一般の誤解(習慣性のある危険な麻薬で死期を早める等)もないように説明しておく。

延命治療、蘇生術を施行するか否か

 末期患者への治療、輸液等についても選択肢を示した上で求められれば専門家として最良と考える方向性を提案することが必要な場合もある。最終的にはQOLを維持できるかどうかで本人、家族の意向を優先することになる。たとえば輸液は脱水を改善して一時的に症状が改善する利点もあるが、過剰な輸液は腹水、胸水、浮腫を増強させ溺死する状態を作り本人の苦痛を増す場合もあることを説明する。
突然の吐血、下血、各種梗塞や塞栓といった突発的な症状変化の可能性にも言及し、その際の処置ついても一応の了解を得ておくが、その対応はフレキシブルであるべきだ。
また治療方針についてはターミナルケアの場合でもセカンド、サードオピニオンを利用できることを提案すべきだ。
今後はこれら終末期の医療行為の是非については事前に本人の意向を示すいわゆる「リビングウイル」と関連して社会的問題として考えて行く必要がある。こういった議論は医療サイドも常に医師、看護師、薬剤師などでカンファレンスを行う(できれば家族、本人、も交えて)などチームで考えていくべきで決して個人で抱え込まないことだ。

在宅か入院か?

 在宅ターミナルケアの必須条件として患者自身が強く在宅を望んでいる、はっきり告知されている、家族が一致して在宅を希望しているといった項目が上げられることが多いが、人生という仕事が終わる時、自分の家へ帰る、という視点でとらえれば、必ずしもすべてがそろわなくてもとりあえず在宅ケアという選択は可能である。
入院と違って在宅ケアサービスについては患者(あるいは病院スタッフも)は知らないことが多い。往診、訪問看護、福祉用具、ヘルパー派遣などについての地域での情報提供が必要だ。骨転移などで歩行困難であれば身体障害者手帳の取得や、65歳以上(特定疾患であれば40歳以上)なら介護保険の利用(申請時にさかのぼって認定結果が有効)も可能なら説明する。入院可能な緩和ケア病棟やホスピスと地域開業医が連携し医療制度の枠にとらわれない入院、在宅の選択が自由に行えるシステムが患者にとって安心だ。

余命の予測

 「あと3カ月と言われたのに、、」予後の予測は慎重に幅を持って行う。医師は預言者ではない。「年は越せると思いますが、来春のお花見はちょっとむずかしいかも、、」という婉曲な表現にとどめた方が無難な場合もある。そしていかなる場合も急激な症状の変化によって時期が早まる(あるいは伸びる)可能性を示唆しておく。患者、家族は必ずしも正確な数字を知りたいのではなく死の受容の過程としてある程度の予測ができれば十分な場合が多い。
筆者は月、週、日、時間と単位で予後を予測して説明する。この際気をつけることは残り時間を知らされて生きる、という今まで人類があまり経験したことのない状態におかれた患者、家族の気持ちを尊重することだ。さまざまな代替療法、民間療法に奇跡を求める患者、家族の思いをエビデンスがない、と科学者として冷酷に切り捨てるのではなく隣人として支える姿勢も必要だろう。

死のプロセスの説明

 死を身近に経験しない現状では死に至るプロセスを説明する必要がある。この説明によって次第に家族は死の受容を行っていく。本人にも死のプロセスを説明したことがあるが眠るように死ねると聞いて安心したという反応がほとんどであった。きっちり緩和ケアがおこなわれれば患者が痛みで苦しんで死んでいくことはほとんどないこと、ほとんどのケースでうとうと寝ている状態ー呼べば覚醒してコミュニケーションできる状態ー呼びかけても反応しない状態を経て眠るようにして呼吸停止、心停止していくといった状態を話しておく。
この際臨終直前にみられるチェーンストーク呼吸や下顎呼吸についても言及し実演するなどして家族に理解してもらうようにする。この状態になればほとんど意識はなく見た目ほど本人は苦しくないと思われることも含めて話す。(一生懸命説明したつもりでも”化学呼吸ってなんですか?といわれた経験もある。)聴覚は最後まで残ると言われており家族の声がなによりの安心、いろいろ語りかけてあげるように伝えておく。
また死ぬことは意識がなくなって心臓、呼吸が止り細胞が死んでいくその連続した過程であって瞬間ではない、便宜上心臓、呼吸停止(あるいは脳死)を臨終としているだけでいわゆる”死に目に会えない”ことにあまりこだわる必要がないのでは、といったことも説明する。
筆者はこういった説明を決して深刻にならずしかし真剣に、できればユーモアを交えて話せるようになりたいと願っている。 そして死が訪れる。
筆者はどの時点で医師を呼ぶかは家族の判断に任せている。十分な説明がなされて家族が納得していると家族でお別れした後に呼ばれることもある。本人と家族が主役の最後の荘厳な場面、医療者は数歩下ってそっと支えればいい。可能なら訪問看護師等による死後の処置、そして死亡診断書の交付でひとまず医療者の役目は終わる。いわゆる家族へのグリーフケアはこの時から始まるのではなくこれまでのケアに自然に含まれるべきものだろう。

まとめ

 ターミナル期の説明は人生を幕を閉じようとしている方に医師が最後に送るお見舞いの言葉といってもいいだろう。あくまで押し付けでなく本人、家族の気持ちに寄り添うようになされる必要がある。死は本来極めて日常的なもので決して医療に管理されるものではなく、死のほんの一部に医療がかかわるだけのはずだ。本来医師が説明するということにもなじまないのかもしれない。説明もそういった謙虚さで行うべきだろう。そしてすべてのケアは本人の自立を最期まで支援するために行うべきものだ。住み慣れた家で有終の美を飾る、そんな方を家族や近所のおばちゃんや看護師、町医者達が当たり前に見送る、そんな”死の日常化”にゆっくりすすんでいきたい。              

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