住み慣れた家での主役は患者、その生活を支えるスタッフ
医者はバックアップに徹する姿勢を。
在宅でのケアを選択する方が増えている。もう入院はイヤだ、という消極的在宅から、病気や障害を持っていても、そしてもし残された時間が限られているとしても住
み慣れた家で地域で暮らし有終の美を飾りたいと積極的に在宅ケアを選択する、そんな方が増えてきている。もちろん介護保険のスタートというあたたかい追い風、そして在院日数の短縮という医療保険の冷たい追い風、これら制度の変化が在宅ケアを推進しているという一面も無視するわけにはいかないが。
そして在宅ケアの現場では病院内の医療チームだけではなく、介護、福祉を含めた幅広いネットワークの構築が必要とされる。そこでは医療面のみならず”生活”そのものを支える姿勢が求められる。医療内でのネットワークに終止するなら決して在宅で患者の生活を支えることはできない。この”患者”というネーミングでさえ在宅ケアの現場では違和感をおぼえる。利用者、クライアント、生活者、、今後名称は変わっていくかもしれない。
在宅ケアの要とも言えるケアマネージャー、介護支援専門員試験の受験資格は医師、看護師を始め介護福祉士、柔道整復師までおよそ20の職種に与えられている。さら
に地域でのボランティアなどインフォーマルサービスも含めて医療関係者が今まで一度も会ったことのない職種、立場のスタッフとのチームワークが必要とされる。病院内とは違って医学という共通の言語を持たないスタッフとの仕事はある意味で同一チーム内での調和、というより異業種間でのネットワーク、野球選手とサッカー選手と水泳選手が同じ土俵で仕事をする、、といった方がいいかもしれない。
そういった環境の中で医者はどういった役割を果たすべきなのだろうか。(病院、高度医療を連想させる”医師”に対して在宅ケアでは”医者”という呼称の方が親近感
があっていいように思う。) 在宅で療養する患者、家族そしてそれを支える看護師、ケアマネージャーやヘルパー達は在宅ケアの現場で医師にどのような役割を望んでいるのだろうか。
医療と福祉の不幸な関係
在宅ケアを支えるネットワークで不可欠なのが医療と福祉の連携だ。しかしながら医療は医療保険で病院の中で、福祉は措置制度を基盤とし施設の中でお互い別々にサービスを提供してきたという歴史がある。この両者が介護保険が始まって以来在宅ケアという同じ舟に乗ることとなった。ところがこの両者、かじ取りを巡って必ずしも意見が一致するとは限らない。本来の乗船客であるはずの利用者の意向をよそに”船頭
多くして、、”という状態に陥ってしまうことも。それは治療という医療行為を優先 し患者の生活、という側面を無視してきた医療と、患者としてではなく生活を支える
という立場ではあったものの、措置制度に甘んじてサービスを提供するというコスト意識が希薄だった福祉、介護とのギャップがその根底にある。医師が病気を治す、命を助けるといった大義名分を盾にすべてのスタッフと患者の上に立とうとするなら、患者や他のスタッフがそれに抵抗するのはたやすいことではない。ケアマネージャー
を始め介護スタッフの多くが医師に対して敷居の高さを感じているのは事実だろう。それは患者、家族にとっても同じことだ。
医療ー福祉の間での役割分担に関していえば、ヘルパーの医療行為、吸引問題や看護師の在宅での点滴、注射問題など現場の実情と規則の解離がやっと問題視され、規制緩和の方向に動きだしている。その動きの中でも各々の職種が時としてみせる既得権利への執着は利用者不在の感が否めない。そしてそこには医師、看護師、ケアマネー
ジャー、ヘルパーというヒエラルキーと、その外に置かれる患者、という構図が見え隠れする。患者にとっては資格がどうであろうときちんと安全にサービスを提供してもらえればそれでいいはずだ。ますます患者の自己選択権が尊重されるべき時代に職種間で縄張り争いしている場合ではないことだけは確かだ。
医師は監督、指揮者、それとも裏方?
医療現場での医師の役割をたとえると何になるのだろうか?野球の監督?オーケストラの指揮者?映画や舞台の監督?。これは提供される医療の状態によって異なってくる。たとえば手術室やERの現場では医師はかなりの権限を集中して他の医療スタッ
フを統制管理し治療にあたる。病状が急性から慢性へと移行していくに従って、医師の役割は少なくなり後方支援へとかわっていく。そして逆に他の医療スタッフの出番が増え、在宅ではさらに介護、福祉のスタッフがかかわってくる。この際、一環して尊重されるべきなのは患者、家族の意向であろう。たとえば、在宅ケアの方針を決め
るケアカンファレンス(実際開催はなかなか困難だが、、)に際しても医師はファシリテーターとして出席者の発言や意志決定を支える役目を控えめに果たした方がうまくいくに違いない。
医療倫理のアプローチ
最近、医療行為について社会的、倫理的にもっと幅広く多方面から考察しようという動きが高まっている。そういった医療倫理的思考は脳死や遺伝子治療といった日常まれな状態だけではなく、手術の適応や延命治療といったプライマリケアの現場でも必
要となってきている。
臨床倫理で4分割法という考え方がある(表1)(1)。
患者をとりまく事象を1、 医学的適応 2、患者の意向 3、QOL 4、周囲の状況という4つの側面から把 握して決断に生かすというものだ。病院医療ではどうしても1、の医学的適応が他に
優先される傾向があるが、慢性期そして在宅ケアの現場へと移行するにつれそのバラ ンスが変化し2、3、4の比重が重くなる。その中で医師が従来の医療中心の考えに固執し、1の医学的適応のみを主張しイニシアティブをとろうとすれば在宅でのネットワークは医者を頂点としたトップダウン方式の見かけのネットワークにしかできないだろう。慢性期や在宅ケアでは時間的余裕もでき患者の自己決定、自己選択の幅も広がってくる。もちろん在宅ケアでも急性期医療を必要とする急変はあり得るし、その時には医師は 1、の医学的適応を優先し適切に対応する必要がある。ただしその時でさえ医師が主導権を発揮して医療行為を行うかどうか、たとえば入院するのか、点滴や経管栄養といた延命治療をするのか、という決定はそれまでに”事前指示”と
いう形で本人、家族の自己決定をチームで支えておく必要がある。在宅ケアの現場で は必ずしも医学的適応が優先されるとは限らないからだ。自己決定のもととなる情報
を適切に提供し、自己決定を支え、その実行をサポートする役目が在宅ケアを支える医師に求められる。
開業医師間、および病院医師との連携
医療外のネットワークの重要性について述べてきたが、もちろん医療のネットワーク が在宅ケアの継続に不可欠なのは言うまでもない。地区医師会を通じた在宅医療に取
り組む診療所間のネットワークや、病院との連携は必須だ。在宅医療の現場で求めら れる大きなファクターの一つに24時間対応がある。在宅では病院から離れて自由になるというメリットとうらはらに緊急時に医療の対応が即時に受けられないのでは、という不安がある。しかしながら個人開業医が24時間対応するのはかなり困難で、そのために在宅ケアを敬遠する医師も少なくない。この24時間対応を診療所同士の連携、診ー病連携というネットワークの構築でカバーする必要がある。この連携も紹介状といったペーパーだけが行き交うのではなくお互い顔も見える有機的連携でなければならない。在宅の主治医として求められるのはただ他医療機関に紹介して事足れリ、とするのではなく入院後も主治医として専門医と患者、家族の間にたって通訳、コンサルタントの役目を果たすことだろう。理想的には普段家庭医としてかかわっている患者が検査、手術といった高度医療が必要な状態となって入院加療し、そしてま
た在宅へ、といった流れを途切れないでスムーズにサポートできればいい。
セルフケア時代の医師の役割
アメリカの在宅ホスピスケアの現場をフィールドワークし、日米の死生観を研究する服部洋一氏はその著書「米国ホスピスのすべて(2)」の中で、「ほとんどナース
主体でおこなわれる米国在宅ケアの中で医師は、現場から一歩距離をおいたアドバイ ザーに徹している。それに比較すると日本のホスピスケアは医師主導という性格が強
く身体ケアだけでなく心理社会面をささえる役割も担っている、そしてこの医師の活 躍の多面性は医師に大きな負担をかけるだけでなく、他の専門職の自立を妨げる要因
にもなっている」と指摘する。アメリカでは医師のコストが高いためあまり往診に行 けないという経済的側面はあるにせよ参考にすべきだろう。他の専門スタッフ、そして患者自身の自立を支える方向に働くような医師のかかわりを考えていく必要がある。
医師主導の病院医療をそのまま在宅へ移行させ、すべてを医師がマネージメントする古いタイプの連携はおそらく利用者の満足を得ることはできない。もちろんその一方で利用者はいままでのおまかせ医療、おまかせケアの体質から脱却し自己決定に伴う自己責任についても考える必要があるが。しかし日本ではこの自己決定が家族の意向に大きく影響される、という問題がある。
介護保険法第二条には「被保険者が要介護状態となった場合においても、可能な限りその居宅において、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう
に配慮しなければならない。」と在宅ケアの尊重をうたっている。実際は介護保険開 始後、居宅を離れ施設入所する要介護高齢者が増加している。これがか本人は家族に遠慮して、あるいは家族は要介護者を介護保険の在宅サービスでは支えきれなくて、という苦渋の選択の結果ならば、介護保険は本来の目的を果たしていないことになる
(3)。
さらにこれまで「措置制度」として行政がサービスの内容、量、提供者などすべてを ほぼ一方的に決定してきた障害福祉サービスをが2003年4月から障害者自らがサー
ビスを選択し、事業者との契約によりサービスを利用する「支援費制度」としてスター トした。しかし制度自体が複雑でしかも自己決定と交渉が必要とされる制度を利用者
は理解して使いこなし、本当に必要なサービスを受けられるのであろうか?医療保険、 介護保険そして支援費制度、社会資源としてのこういった制度を知って利用者が適切
に使えるように支援するだけでなく、制度そのものが現場にマッチするように改善を 求めていく姿勢も医師には望まれる(4)。
情報の共有、自己決定、そして在宅死の支援
いろいろなアンケートで常に住み慣れた家で、畳みの上で死にたい、、という人が 大多数を占める希望と相反して7ー8割の方が病院で亡くなっていく。生まれる場所
は自己決定できないが、死ぬまでの残された時間をその人らしく有意義に過す場所は自己決定できる。街の家庭医は日常診療の中での情報提供に基づいた自己決定、たと
えば予防注射をするかどうか、薬を飲むかどうかを支援していく、その日常の延長線上に、癌などの重大な疾患への対応や延命治療、そして最期をどこでどのように過すかという重大な自己決定の支援があたりまえにできるのだと思う(5)。
在宅ケアの究極の目的は住み慣れた家で、地域で最後まで自分らしく過すことであろう。病気や障害があってもできるだけ自宅で過すことを支えるネットワークづくりが
早急に必要だ。そしてそのネットワークは患者のすべてを取り巻いて先導するような ものではなく、半歩さがって一緒に歩く形で自立を支援し、倒れそうになった時、迷っ
た時にはずぐに手を差し伸べる、という援助が望ましいだろう。そしてその患者と在宅ケアのスタッフをさらに半歩下がって見守る医師の存在が不可欠だ(6)。
参考文献
1)かかりつけ医のための家庭医療学「臨床倫理」 白浜 雅司
JIM 11、2001(9)861-865 医学書院
2)米国ホスピスのすべて 服部洋一著 ミネルヴァ書房
3)介護保険は自立を支援できるのか〜施設シフトする要介護高齢者〜
桜井 隆 内科 vol。90。no3、558ー562 2002 南江堂
4)介護保険と支援費制度〜複雑化する制度のはざまで〜
桜井 隆 内科 vol。91。no2、365ー369 2003 南江堂
5)がん末期患者を在宅でささえる
〜住み慣れた家で死ぬということー死の日常化に向けて〜
桜井 隆 ターミナルケア vol11、no4、279ー284 2001 三輪書店
6)「先生..すまんけどなあ...」 桜井 隆著 エピック社 1999
(表1)臨床倫理の4分割法
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1.医学的適応(恩恵・無害性)
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2.患者の意向(自己決定の尊重)
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1.診断と予後
2.治療目標の確認
3.医学の効用とリスク
4.無益性(futility)
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1.患者さんの判断能力
2.インフォームドコンセント
(コミュニケーションと信頼関係)
3.治療の拒否
4.事前の意思表示(リビング、ウイル)
5.代理決定
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3.QOL(幸福追求)
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4.周囲の状況
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1.QOLの定義と評価
(身体、心理、社会的側面から)
2.誰がどのような基準で決めるか
・偏見の危険
・何が患者にとって最善か
3.QOLに影響を及ぼす因子
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1.家族など他社の利益
2.守秘義務
3.経済的側面 公共の利益
4.施設の方針、診療形態、研究教 育
5.法律、慣習
6.宗教
7.その他
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