「最近食欲がないみたいで、、あんまり食べないんです、、どっか悪いんでしょうか?」
介護する家族の言葉であることが多い。本人は結構知らん顔をしていたり?食欲、そして食事の量はすべての人にとって一番わかりやすい健康のバロメーターだ。体重、体温、血圧、脈拍、酸素飽和度といったバイタルサインは測定しなければ異常がわからないが、食事量は料理して後かたづけをする同居者や時にはヘルパーが一目瞭然で知り得る指標だ。しかしそれが直接本人の身体状況を表してるかというと必ずしもそうではない。たまたま嫌いなものを食べたくなかっただけ?かもしれないし、食事を提供してくれる人との人間関係のトラブルかもしれない。排泄介助を気にして食事、飲水量を減らしてしまうといった状況もあり得る。
独りきりで食べる食事は味けないものだ。食卓は単なる栄養摂取の場ではなく、コミュニケーションの場でもある。外出など社会参加の機会が限られる在宅ケア患者にとっては食べる、ということ自体が日常生活の中でQOLの大きな部分をしめている。そういったすべてのケア環境を考えれば、食欲低下の根底には何らかの問題が存在している可能性は高い。医学的な視点のみにこだわらない広い視野でのアプローチが必要だ。
1) 食事動作の障害によるもの
食事の環境が整えられるか?
睡眠はベッドで、排泄はトイレで、食事は食卓でといった当たり前のことが不可能となって、本来楽しいはずの食事が苦痛になってしまうこともある。食事から排泄、睡眠まですべての日常生活が同一のベッド上で行われてしまったり、いくら美しく機能的になったとはいえポータブルトイレに座っての食事ではせっかくの料理も味気ないものになる。あるいは居室の温度といった住環境のセッティングはどうだろうか?クーラーはからだに悪い、と真夏に屋外以上に高温多湿の室内では食欲もわかずさらに脱水になってしまう。健常人はおいしい食を求めての努力をおしまない。食への探究心、欲望は障害や病気があっても基本的には同じはずだ。食事そのものが単なるカロリー摂取となってしまえば食欲がわかないのは当然であろう。安易な栄養剤の処方は慎むべきだ。3食、缶入りの栄養剤の食事を想像してみるといい、食欲が出るはずがない。もちろん本人の嚥下など障害の状態や介護力、住宅環境によってはいたしかたない場合もあるだろうが、食事を楽しめる環境設定が最低限必要だ。医師、看護師といった日常かかわる医療スタッフの視点だけでなく、人材不足と認知不足で現状ではあまり利用されていない管理栄養士の在宅訪問栄養指導(医療保険、介護保険適応)との連携も今後は期待される。
食事をするために食卓での座位保持が可能か?
骨粗鬆症、脊椎圧迫骨折による円背変形の進行のための腰背部痛や、廃用性の関節拘縮によって食事のための座位保持が困難で食事が進まないこともある。座位保持のためのリハビリや椅子の工夫などが必要となる。また嚥下動作時には頚部は前屈位のほうが気管と喉頭に角度がついて喉頭挙上が容易となり誤嚥しに
くいとされている。座位保持が困難でベッド上でヘッドアップポジションでの節食を余儀無くされる場合でも、枕を置くなどして頚部を屈曲位にした方が誤嚥が少ない。
視力障害のため食べ物が認識できない
TVや雑誌のグラビアを見ておいしそうと思うように、食欲のかなりの部分が視覚刺激から入ってくる。うつわや盛り付けの工夫によっても食材をひきたたせることが可能である。視力低下はそのまま食欲低下となるし、あるいは逆に病人の食事だからといって調理や盛り付けの工夫もなくいつも同じようなものばかりでは食欲低下も当然かもしれない。
味覚、嗅覚障害
何を食べても砂を噛むようで味気ない、といった味覚、嗅覚障害も食欲低下につながる。薬剤の副作用であることも多い。亜鉛不足も味覚障害の一因といわれるが亜鉛の補充で改善しない味覚障害も多い。味覚、嗅覚の障害とその治療に対する研究は遅れている、これからの課題であろう。
食べ物を口まで運べない
おはし、スプーン、フォークを使用して食べたい食物を適当な大きさにカットし、口までこぼさないように運ぶという動作にはかなりの手指の巧緻性と、肩、肘、手関節の可動域によるリーチが必要である。片麻痺、パーキンソ、関節リウマチといったさまざまな障害で食事動作自体が困難になると自然と食欲は低下する。障害の状況に応じた食材、食器や介助の工夫が必要。
2)咀嚼、嚥下機能の障害
咀嚼、嚥下機能は他の身体機能と同様に加齢とともに低下する。口の中へ入れたものを噛み砕きだ液と混ぜて食塊とし咀嚼、嚥下するという普段我々が全く意識せず楽しみとして行っている行為が障害されると、時として誤嚥性肺炎や栄養障害で死に至ってしまうことさえ起こり得る。高齢者の死因の第4位は肺炎でありその多くが誤嚥性肺炎であるといわれている。一度起こした誤嚥性肺炎に対する心配のために、むせるから食べたくないと食欲が低下してしまうこともある。はっきりした誤嚥のエピソードがない不顕性誤嚥によると思われる肺炎も多い。通常、経口摂取したものが食道でなく気管に入り込む誤嚥が一般的だが、臥床状態の高齢者では胃、食道逆流現象によって一度胃内へ入った食物が胃酸とともに逆流し気道へ侵入してしまう誤嚥がおこりえる。肺組織が胃酸による化学的障害も受けてしまうため重篤になりやすい。降圧剤ACE阻害剤の副作用としての咳反射亢進が誤嚥を予防するという報告もある。
咀嚼、嚥下に関しては口腔ケアや義歯の問題や嚥下リハビリも含めて歯科医師、歯科衛生士との連携が必要だ。
3)全身状態の悪化による食欲低下
感染症
在宅ケア高齢者の場合短期間の急速な食欲低下は気道や尿路等の感染症を示唆する。高齢者では必ずしも発熱やせき、痰、頻尿といった症状がはっきりせずなんとなく元気がない、食欲がないといったことから家族が気づくことも多い。食欲低下が2ー3日以上続くようなら呼吸器、尿路感染をとりあえず疑って酸素飽和度、検尿、血液炎症反応などをチェックしてみることも必要だろう。
悪性疾患
中、長期にわたる食欲低下や体重減少の場合は悪性腫瘍を考える。脳血管障害やパーキンソンといった障害を持って在宅ケアを行っている高齢者の場合、問題となるのはどの時点でどこまで検査をするのかということだろう。もちろん本人、家族の意志、希望が優先するのは当然だが本人の状態次第では検査そのものが負担となる可能性もある。とりあえず在宅で可能な血液、便鮮血、喀痰検査、続いて侵襲の少ないCT、ECHOといった検査からといった選択にならざるを得ない。また検査を進めて悪性疾患を発見したとして根治をめざした手術、抗癌剤といった治療の適応になり得るのか、という問題も起こりえる。日常の在宅ケアの現場でこういった検査、治療といった侵襲を伴う医療行為や延命治療、終末期に受けたいケアに対する本人、家族の意向を把握しておくことができれば望ましい。
消化器疾患に伴う食欲低下
通常の胃、十二指腸潰瘍や悪性疾患、胃炎、逆流性食道炎さらには消化管機能低下、便秘など。臥床状態の患者では基本的に消化管機能が低下しており、食物の消化管内への停滞のため食欲低下をおこす。便秘が原因の食欲不振も在宅ケアの現場では多く、排便コントロールによって改善するケースも見られる。
薬剤による食欲低下
在宅ケアを受けている高齢者の場合ざまざまな疾患を合併し多剤を併用していることが多い。また薬剤を指示どおりきちんと内服できているか、間違って飲んでいないか、という薬剤管理の問題も多い。往診にうかがった自宅で枕元の箱の中からごっそり数カ月分の薬が、、。あるいは、内服管理が困難になってきため、家族が薬の管理を始めてきちんと飲ませ始めたところ1ヶ月あまりで食欲低下、その原因がジギタリス中毒だった、というケースも経験した。
NSAIDsやビスフォスフォネートなど整形外科疾患に対する薬剤による食欲低下も多い。睡眠導入剤や抗不安剤、認知症に対する抗精神病薬などが薬剤排泄機能の低下により必要以上に蓄積し、全身の機能低下、ひいては食欲低下をきたしている場合もある。継続中の薬剤の中止は困難なことも多いが、抗痙攣剤などを中止してみると食欲など全身状態の改善をみることもある。(もちろんリスクの説明は必要だが、、)
うつ状態、認知症による食欲低下
ほとんど変化のない日常生活を送っている在宅ケア患者の場合うつ状態や認知症に気づきにくい場合があり、食欲低下が唯一の症状となることがある。障害を持って在宅ケアを受けている高齢者は基本的にうつ状態であるといっても過言ではないかもしれない。頭部打撲など外傷後におこる慢性硬膜下血腫は血腫除去で劇的に改善するので見落としてはならない。また抑うつ状態に隠された身体疾患の鑑別も必要であるが、在宅ケアの現場では以下に述べるケア環境をめぐるストレスがこういった精神症状のきっかけとなる場合も多い。
老衰?による食欲低下
非悪性疾患の超高齢者の終末期など、全身の機能低下のひとつとしての食欲低下は、そのまま見守ることが一番のケアとなるのかもしれない。(もちろん明らかに回復可能な状態であれば黙って見ていることはむずかしいが、、)次第に経口摂取できなくなり、脱水となって枯れるように天寿を全うする、むりやり栄養を与えられた末の養殖の死、ではない、天然の死、を当たり前にケアできればいいのだが。
4)ケア環境による食欲低下
慣れ親しんだヘルパーさんが交代してしまった、新しいヘルパーさんとはどうも相性が悪いし料理の味つけも違うし、といったケア環境の変化が食欲低下につながるケースを在宅ケアの現場では経験する。デイサービスやショートステイが家族の息抜きにはなっても本人にとってはストレスとなって体調を崩してしまうこともある。現状の介護保険制度では要介護度が上がれば上がるほど在宅ケアを行う家族の負担は大きく、生活者としてではなく、介護者として24時間のほとんどを過すことを余儀なくされてしまう。長期に介護者として患者を支える家族の疲労やストレスが、患者に投影され、患者の精神状態を不安定にしてしまう。患者本人の食欲低下がこういったケア環境の問題の表在化であることも心に留めて、在宅ケアを支えるすべてのスタッフの共通認識とし、家族という単位そのものを支援していく必要があるだろう。食欲低下を機会として開かれてたケアカンファレンスで本人や家族のかかえるさまざな問題の解決の糸口が見つかるかもしれない。