25年前の患者と家族
研修医として初めて担当したのは白血病だった。国家試験に通ったばかりの医者が白血病患者を担当するということは、免許をとったばかりの初心者マークのドライバーがいきなりF1サーキットのレーシングカーを運転するようなものだろう。もちろんあの当時は、IC,インフォームド.コンセントなんていう言葉さえなかったし、患者本人に『白血病です』なんて本当のことを直接告げることはありえなかった。癌細胞だけを攻撃しようとして、何も見えなかったあの頃。そのために患者本人が悩み苦しもうと、家族が嘆き悲しもうとそんなことにはおかまいなしだった。
「しっかりきつめの、ムンテラ、家族にかましときや、予後悪いで。」
”ムンテラ、口頭治療“というこの得体の知れない和製ドイツ語に、口先だけで患者、家族を言い包める、という当時の医師ー患者関係が象徴されているようにも思う。今でも時々医療現場で耳にすることがあるが、まるで過去の亡霊に出合った時のような不快感をいつしか感じるようになった。
でもその時期さえ我慢すれば治る、元の健康に戻れるのならそれでもよかったかもしれない。しかし残酷にもその白血病との戦いは、あの頃は一部の骨髄移植成功例を除いて、あまり勝ち目のないとても厳しいものだった。
おまけに最期は家族を病室の外に出して、徹底的に延命治療をほどこした、本当は誰もそんなことは望んでなかったのに。健康こそすべて、病気や死は敗北、という幻想にとりつかれた儀式だったのだろう。そして20世紀後半、医学の進歩と共に人々は病気や障害、死でさえも病室に閉じ込めて日常から隔離してしまった。
小宇宙としての細胞、そして 家族
その後、病棟を離れた私は“細胞工学”という当時最先端の研究分野に進んだ。免疫学、細胞工学の手法で癌特異抗原を同定し、抗癌剤や毒素をくっつけた抗体を作って癌細胞のみをやっつけるというミサイル療法を夢見て。でも、癌細胞というやつは予想以上にしたたかだった。それは基本的に他者ではなく、自己の変容であるという理由のために、内なる自分自身との闘いとなってしまう、それが永遠の課題であるのと同じなのかもしれない。
『細胞はそれ自体がひとつの小宇宙だ』
癌細胞だけを攻撃しようとしていたあのころ、研究者のはしくれとして、顕微鏡で見ていたひとつ一つの細胞、それ自体がもつ不思議な機能とその奥の深さは、まるで宇宙空間に迷い込んだように、到達不可能で、神秘に満ちた世界だった。
そして今、
『家族はそれ自体がひとつの小宇宙だ』
在宅ケアの援助者として家庭へ、家族の中へ侵入する今、医療者のはしくれとして垣間みるその世界は、和音と不協和音、香りとにおいが渦巻く理解不可能で、神秘と不思議に満ちた世界だ。
細胞から家族へ、免疫学、細胞工学からホームホスピスケアへ、紆余曲折はあったが、結局小宇宙の謎に魅せられて、その内なる世界へと迷い込むしかなかったのは、探究心というにはあまりに下世話な好奇心のなせるわざだろう。細胞と家族、研究者と援助者、その中へ侵入して助けようとする姿勢は同じだ。そして必要以上の侵入はその存在を破壊してしまう、という点でも。
病んだ家族、病んだ細胞、その判断基準とはなんだろうか?そしてそれは誰がどうやって決めるのだろうか。細胞、そして家族という小宇宙のなかではどんなことでも起こり得る。そして基本的に自己完結があたりまえのその小宇宙に対して、いったい何故、外部からの介入、ケアが必要なのだろうか。自己修復、自己再生、そして自己融解、アポトーシスという最終手段でさえそれは本来、細胞、家族そのものが持っている機能のはずだ。
「おかえりなさいプロジェクト」
細胞が、臓器が、個人が、家族までもが医療に管理されるようになり、その最期、死でさえ医療に取り込まれ80%以上の人が病院で死んで行く21世紀の日本。病院死が在宅死を越えたのは1974年、たった30年の間に我々合日本人は看取りの文化を日常から失ってしまったかのようだ。決して医療費削減のためでなく、病床削減で溢れる死亡難民を救うためでなく、あなたが願うなら家でもだいじょうぶですよ、と住み慣れた家での最期という選択肢を提供するために「おかえりなさいプロジェクト」は冊子 “あなたの家にかえろう” をつくった。細胞から組織、臓器、個人、家族そして社会へと死をbio-psycho-socialモデルにそって昇華していくことで、死の社会化、死を少しでも日常に取り戻すことができればいい。コミュニティの信頼感、互助意識としてのsocial
capital が地域で死をサポートできるようになればいい。
たとえ病気や障害があっても住み慣れた家へ、地域へ帰ってきて(ただいま!)ゆったりと過ごし、そしてその場で死んで逝く。そんな人を家族が、近所のおばちゃんが、ヘルパーが、ケアマネージャーが、ナースが、そして町医者が(おかえりなさい!)ちょっとあわてたり、悲しんだり、微笑んだりしながらふわっと見送る、そんな死の日常化がゆったりすすんでいけばいい。