在宅療養支援診療は機能するか? 〜地域の看取り力、ソーシャル・キャピタルとしての看取りの再生のために〜 |
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経済学で論じられるようにある特定分野での売り上は、上位の20%が全体の80%を占める、というべき乗の法則、あるいはパレートの法則が在宅ケアでの看取りにもあてはまる、といささか乱暴に推論すれば、上位20%のヘッドにあたる支援診療所での看取り数はもっと増えていいはずだろう。もちろんヘッドの部分にあたるス−パー在宅専門クリニックが、看取り数を押し上げていてこの法則があてはまりそうな宮城、奈良、東京、といった地域もある。しかし、全国的にはヘッドは現在のところ、ブロントザウルスの頭のように小さくテールが占める部分がかなり長く太くなっているということだろう。昨年4月に登場した支援診療所を優遇する診療報酬制度が、ヘッドの部分だけを優遇し、ボディやテールにまで栄養がいき渡らないとすれば、恐竜のように絶滅してしまう運命なのかもしれない。 看取りの現場ではそれほど経済的誘導が効果的でない、という事実が、今回の制度の24時間対応その他の厳しい縛りを敬遠したためか、利用者の自己負担増を避けたい、という医師の気持ち(善意)によるものなのかは判断しにくいが、少なくともこの制度による在宅への誘導は限界があるのではないだろうか? 支援診療所の要件を満たした上でないと算定できない、という縛りではなく、看取ったという結果に対してターミナルケア加算は支払われるべきではないだろうか?契約であれ、信頼であれ、利用者、家族とケアギバーの一定の関係性の中で在宅での看取りは行われる。24時間対応を契約しようと、しまいと、支援診療所であろうと、なかろうと看取りはそれぞれの状況に応じて可能であるということを支援診療所以外の看取り4万件は示している。トップダウンの制度をつくり、サービス提供サイドに報酬をつけることだけで病院から在宅へ死に場所を誘導しようとしても無理がある。病院から追い出された、と在宅を強制され不満をかかえた利用者や家族のケアをさせられる在宅のケアギバーはたまったものではない。
死亡場所のデーターを見ると、死亡総数の増加のため%としては自宅死が平成16年から17年にかけて12、4%から12、2%に減ってはいるが、自宅死亡の実数は減少にストップがかかり、127445から132702と約5000名増加している。今後、支援診療所は在宅死をさらに増やせるのだろうか?
平成20年4月からスタートする後期高齢者医療制度の中でもこの看取りに関する制度は重視されるだろうが、看取りの方法や場所を医療制度だけで誘導するのは所詮無理がある。「看取り」を去って逝く人達をそれぞれの『生、老、病、死』の尊厳を大切にしながらどのように見送るのかという社会的、文化的視座からとらえる必要があるだろう。次元を広げたBIO―PSYCHO―FAMILY―SOCIALモデルで死を捉えることによって、我々医療者がかかわるべき範囲と限界がおのずと明かになっていくのではないだろうか。本来「生、老、病、死」は医療が抱えこむ事象ではないということを自ら知って、それを知らしめることこそ、あたりまえの在宅死、死の日常化への道となる。 表1. 都道府県別の在宅療養支援診療所9777か所での看取り数
表2. 死亡数、構成割合
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