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特集 死に臨んだ時の家族サポート
2、臨終期の家族ケアの実際  2)在宅医の立場から 

「家族へのサポートは本当に必要か?」

 

緩和ケア 2008 3月号

さくらいクリニック 桜井 隆


 住み慣れた家でゆったりと過ごし、有終の美を飾る、そんな在宅死を支えるホームホスピスケア。
我々医療者が、去り逝く本人だけでなくその家族を“第2の病人”としてとらえ、その心のケアに十分配慮することがあたりまえのように論じられている。

 でも本当に、家族→遺族はそういったサポートを求めているのだろうか?
住み慣れた家という家族にとっての“ホーム”で看取りが行われる場合においても。病院、施設といった“アウエイ”の環境ではゲストである患者、家族に対してホストである医療者が手厚くもてなすという意味での心のケアは必要だろう。

 しかし本人や家族の希望に添って住み慣れた家“ホーム”で看取りが行われた場合でも、アウエイからの侵入者である我々医療者が提供する心のケアといったサポートが本当に求められるのだろうか?

家族、の意味するもの
 21世紀においては、家族という言葉の意味も変化しつつある。夫婦が単位となり、子供を含んだ家族、あるいは両親、兄弟姉妹を含めた血縁関係を家族とする20世紀型の狭義の家族だけではない、広義での家族、あなたの大切な人、といった意味での家族、生活共同体も増えてきている。我々が勝手に保守的?とイメージするイギリスでも事実上の同性婚を合法化した市民パートナーシップ法が2004年に成立している。家族形態の多様化は我々家庭に侵入してケアを提供するケアギバーにとっても忘れてはならないことだろう。

“家”という場のもつ意味
 病院死が80%を越えてなお増え続ける21世紀の日本。
自宅で看取った家族に、
葬儀屋が「へえ、自宅で亡くなられたんですか。」
僧侶が 「ほお、入院なさらなかったんですか。」
という状況の中では、住み慣れた家で最期まで過ごせた、大切な人を家で看取った、という達成感そのものが家族にとって最高の心のケアであり、癒しとなるに違いない。もちろんケアギバーの若干の助けが必要としても、その家族が本来持っている「日常の生活力」の延長線上にある「看取り力」とでもいうものを単に引き出しているにすぎない。

 我々ケアギバーが毎日訪問しても、24時間連絡可能でも、実際23時間以上は家族だけで看ているのだから。やがて訪れる離別の悲しみを感じながら、さらに病院と違って医療の専門家である医師、看護師の保護下になく“なにかあったらどうしよう、これでいいのだろうか、やはり入院させたほうが”と悩みながら介護疲れと不安に眠れぬ夜を過ごす、そんなとてもつらい体験の末にやってくるさらに悲しい別れ、臨終の刻。

 大切な人を失っていく家族の悲しみはそれが予期できるものであったとしても、そうでない突然の死であったとしても家族の心を大きく揺さぶる。予期悲嘆が悲しみを軽減する、かのようにも思われているが、喪失、別の悲しみの総和は同じだろう。予期悲嘆は悲しみを時間軸でずらし分散して体験しているだけで、積分するとその悲しみの総和は同じではないだろうか。

 でもそんな最期の訪れがアウエイの病院でなく住み慣れたホームだったとしたら、トイレで思わず号泣したり、台所でほっとため息をついてみたり、そんなあたりまえの家という場のもつ力が家族を癒してくれるに違いない。外部からの侵入者である我々ケアギバーは看取りのサポート、という仕事をきちんとやり終えたなら、そっと立ち去るべきであろう。家族が“先生や看護師さんなしではとうていできなかった”と思うのではなく、“家族の力で看取れた”と感じたとしたら、我々のサポートはうまくいったといえるだろう。


遺族のうつにサポートは必要か 〜家族が遺族にかわるとき〜
 そして大切な人との別れによる悲しみと落ち込みは、当然の反応であって、決して病的なものではない。そこに一律に医療者が積極的に介入する必要があるのだろうか?それはあたかもウイルス感染であるカゼに予防的にと抗生剤を処方するに等しい行為なのではないだろうか?

 DSM―4(精神疾患の診断、統計マニュアル第4版)の「大うつ病性障害の診断基準」でも「うつ の症状は死別によるものではない」とされている。もちろんうつ状態が悪化、長期化し、苦痛、心理社会的障害を引きおこし、本人が援助を求めている場合は専門的なサポートが必要だろう。そんな時、看取った医者が地域で家庭医として機能していて、そこへ遺族がその後も通院を続けられるといい。

「最近どうも眠れなくて、」
といってクリニックへやってきたつるばあさん、当たり前に睡眠剤を処方しようとすると、ナースが、
「先生、そろそろさくらのつぼみが、というこの時期だったでしょ、たつじいさんが亡くなったのは。話を聴いてあげてよ。」
「そうか、このころだったよね、本当によく最期までおうちで介護なさいましたよね、」
「そうなんですよ、あのときはね、」
こんなあたりまえのグリーフケアができればいい。


看取りの現場での家族の心理、社会的ニーズ
 県立西宮病院医療ソーシャルワーカーの徳山は在宅ホスピスケアにおける家族の心理、社会的ニーズを、さくらいクリニックを含めた3か所のクリニックからのサポートで在宅ケアでの看取りを経験した遺族に対するアンケートを行い、分析している。

 それによると自宅で最期までケアできたことに対する遺族の満足度はかなり高い。医療スタッフが患者の症状コントロールと人間関係の構築といった基本的役割をきっちり果たすならば、その次のステップとして家族が求めるものは「不安や心配を落ち着いて話せる人がいる」「患者以外の家族や友人と良好な関係を維持できた」「気分転換に外出できた」「介護負担を軽減できるフォーマルサポートへアクセスできた」など基本的な生活の維持、社会とのつながりである。

 そこには「介護者としての家族」でなく「生活者としての家族」の心理、社会的ニーズが表出されてくる。
我々医療者が患者のケアを十分に行って、患者、家族がそれに満足していれば、それ以上の心理、社会面でのニーズは医療者へ向けられる要求ではない、ということだ。

 本来、家族→遺族を支えるのはとりまく親族や大切な人達そして地域といったそれぞれの家族が育んで来た風土、とでもいうべきものなのだ。その風土が、地域コミュニティが崩壊し、家族を、患者を支えられなくなって、仕方なく「生、老、病、死」を病院、医療が抱括してしまった21世紀の日本。看取りを地域に取り戻すためには「あなたが願うなら家でも大丈夫ですよ」と我々ケアギバーが少しだけ背中を押して、さりげなくサポートすることなのだろう。

 BI0−PSYCHO−FAMILY−SOCIAL(生物―心理―家族―社会)といった視座で捉えるならば、おのずと我々ケアギバーが看取りの現場で果たすべき役割、しなければならないことと、してはならないこと、が見えてくる。家族が、地域コミュニティが本来持っているはずの『ソーシャル・キャピタル』としての看取り力を引き出すきっかけが創れればいい。その中で我々医療、福祉系ケアギバーはひとつのツールとして機能し、提供できるメニューを提示して、利用者とその家族がどんなケアを求めているのか、訊ねて見るという姿勢が必要だろう。

参照)
 在宅ホスピスケアにおける家族の心理、社会的ニーズ 
   徳山磨貴 ソーシャルワーク研究 Vol.32 No.1 2006

 がんの在宅ホスピスケアガイド 吉田利康 日本評論社

  あなたの家にかえろう  おかえりなさいプロジェクト
   冊子は無料で配布しております。
   詳しくはさくらいクリニックホームページまで  http://www.reference.co.jp/sakurai/

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