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JIM 2008、8 総論2 高齢者の終末期ケアにおけるコミュニケーション |
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さくらいクリニック 桜井 隆
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「かめは千年、つるは百年?? ここまできたらあと2年がんばってよ。」 往生際をどうサポートするか 死亡診断書の作成という専従業務を任された医師として、看取りはとても大切な仕事だ。病気を治し、とりあえずの健康を約束する仕事と相反するようだが本来「生、老、病、死」は連続したもの、すべての延長線上に当たり前にある死をどのように迎えるのか。高齢者ならずともすべての生命に与えられた課題でもある。特定検診と後期高齢者医療制度。健康維持とやがて死に逝く存在としての後期高齢者(とても失礼ないい方だ、名称を長寿に変えたとしても)このはざまを埋めるのが、三人称の死としてではあるが多くの死に寄り添う経験を持つ我々医師の責務なのかもしれない。
・癌 もし選べるとすればどういった死に様がいいか?という質問にほとんどの人は心疾患を上げる、突然死を望んで。がしかし、現実に突然死できる可能性は少ないし、また家族に対しては誰も突然死を望まない。家族や大切な人達に囲まれて住み慣れた家で安らかに逝く、という理想的な大往生のためには、その1週間前は寝たきりとなりあまり食べられなくなっているだろうし、その1ヶ月前はだんだん歩けなくなって車椅子を押してもらっている、という要介護状態を想像しなければならない。家族の迷惑になるからその期間はできるだけ短い方がいいというのなら、それには癌がぴったりだろう。しかし実際は2/3の人が癌以外の疾患で最期を迎える、その現実をどのように伝えて受け入れてもらえばいいのだろうか?
人生をフライトにたとえるなら終末期は目的の空港への着陸である。癌末期の場合はイメージとして着陸地点とその時刻がある程度予測可能で、その空港への着陸、ソフトランディングを管制塔のようにサポートできればいい。しかし多くの非癌患者の場合、その着陸地点さえ明らかでなく、低空飛行ながら結構長時間のフライトであったり、予期せぬうちに墜落したりする。非癌患者の終末期のむずかしさはそこにある。さらに本人、パイロットが意識をなくしていたり、認知症になった場合はさらに困難だ。乗客?や管制管があたふたしながらなんとか不時着を試みるしかない。事前にパイロットが飛行計画を示してくれていればいいのだが。
もちろんそういった終末期は「おわりよければすべてよし」が理想だが現実はそううまくはいかない。それぞれの人生の終わり方は、それぞれが生きてきたようにさまざまな経過をたどる。とんでもない死に方だって誰かには用意されているものだ。「おわりあかんでもまあええか、よくがんばったよね」といった発想も必要だろう。そんなおおらかな看取りを地域でふわっと支援できればいい。
「お誕生日おめでとうございます、これであなたも晴れて後期高齢者ですね。ところであと何年ぐらい生きたいですか?そして、どんな往生際がいいですか?」終末期相談料を視野にいれていきなりこんな質問をしたら、、、終末期や救急現場など切羽詰まった状況で初対面の医療者に問われるのでなく、日常診療の延長として家庭医がゆったりとコミュニケーションすればこんな会
話も受け入れてもらえるだろう。我々が勝手に高齢者と思って接している人達は、近づきつつある死についていろいろ考えている。医師は救急車を呼ぶこと、
入院すること、延命処置すること、あるいは在宅ケアをするといった選択肢とその功罪について説明し、その先にあるエンディングについての自己決定を支える責任がある。そしてどのような選択をあなたが選ぼうとも、また揺れ動こうとも最後まで寄り添う、あなた望むなら、あなたの死亡診断書は私が書きます、ということを伝えることだ。 |
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