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「死」というものに対する最初の記憶は私が小学生のころ自宅で "息を引き取った" 祖母のことだ。私によくおこずかいと銀紙で包まれたこげちゃ色の板チョコをくれた祖母は脳卒中で自宅で死んだ。いつもと同じように、でもいつもと反対の北を頭にして座敷きで寝ているように死んでいた。普通のことだったように思う。
あれから後、どうしてか「死」は人々の日常から離れ病院という入れ物の中深くへと隔離されていった。医療技術の進歩のためか、人々がそれを望んだのか。私が研修医として接するようになった時「死」は病院の中で完全に医療に、医者に管理されていた。当時たとえ原疾患がなんであれ延命に最大限の努力をするのが当然であった。癌の末期の患者さんにあらんかぎりの延命治療をほどこした。
『おしっこがでない...ラシックス5A。血圧が下がった...イノバン、ドブトレックス。呼吸が...テラプチク。だめだ挿管、人工呼吸。心停止だ。板をひいて心臓マッサージ。それカウンターショック、みんな下がって...ボスミン心注。よし、VFだ、キシロカインを...肋骨が折れるくらい力をいれないとだめだ。』
医者によって、状況によってこの儀式のシナリオは異なった。あっさり終わったり、執拗につづけられたり。「○○が来るまでなんとか...」という家族の希望で心臓マッサージが続けられることもあった。
『おい家族まだか、代わってくれ、つかれたよ。』 『もうそろそろ...。回りを片付けて、家族を部屋に入れて。』 少しましな場合は最後の瞬間に家族を病室に呼んでみんなで心電図のモニターを見つめる光景がみられた。
医者と看護婦が患者さんの枕元に位置し、部屋のすみで家族も遠慮がちにモニターの波形を見つめていた。死んでいくのは患者なのに、主役はモニターの青い波形だった。波形が真直ぐになって ぴっぴっ という音が ぴーーーーーーー となってすべてが終わった。家族は頭を下げてお礼をいった。(あーまたステッた。よく当たるなあ。)
『このような悲しみのなかでまことに申し上げにくいことですが、医学の発展のためにぜひ病理解剖を、、』(やれやれ、解剖を承諾してもらったのはいいが、今からだと終わるのが朝になってしまう。眠いなあ。)など不謹慎なことを考えながら病理解剖に立ち会う。結果について詳しく家族に説明したことはあまりなかった。霊安室から去っていく寝台車を黙礼でお見送りしてすべてが終わった。
『00さん、やっと、おうちに帰れるのね。』 一緒に見送っていたナースはひとりごとのように言った。病院での死。 そんな最後があたり前だった。誰も何も言わなかった。死は敗北を意味した。医療者は負けを認めたくなかったのだろうか。でも死が決して避けられないことはみんな知っていたのに。予定された、本来納得されたはずの死に対しても、ひととおりの蘇生術を一生懸命することがせめてもの償いのようでもあった。なんというお見送りの儀式だったのか。唯一我々医者にとっての利点は研修医達が蘇生の技術を学んでいったということだろう。死に行く人には何のためにもならなかった。家族は廊下でだまって儀式が済むのを待っていた。誰も病室へ入らしてくれとは言わなかった、いや言える雰囲気ではなかった。誰もおかしい、やめようとは言わなかった。
住み慣れた家で死ぬということ。 開業して町医者として在宅ケアを支えていく中で自然に亡くなっていく方をお見送りさせていてただくようになった。特に"在宅ターミナルケア"を、という理念があったわけではない。もう入院したくない、という方を家で看ていたらそのまま亡くなってしまった、というあっさりした感じだ。
腎癌末期のIさんの状態が悪くなり、意識レベルも低下、血圧も60となった。点滴も、バルーンも、モニターも、酸素もない。いつもと同じようにIさんは居間のふとんに寝ている。(ほんとうに何もしなくていいのだろうか。)
畳の上で死なせたい、あれだけ入院はいやがっていたのだから、という奥さんの意志は固い。やがてIさんはだんだんと息をしなくなった。(ああ、これが"息を引き取る"というやつだ。)
ふと私はかつての「死」のイメージを思い出したが、医者としての仕事がある。病院で、モニターがフラットになったのを確認してから儀式のように心音を聞いて、対光反射を見ていたせいか、家族に囲まれて自分の感覚だけで"死亡確認"することに不安があった。家族の視線が気になって聴診器を落としたりして...緊張しているのがわかる。(呼吸していないし...もう亡くなっているんだ)と素人のように自分を納得させ、奥さんがうなずいてくれたのに勇気づけられてやっと『御臨終です』と告げることができた。病院時代には百回以上告げてきたこの言葉にこれほど責任を感じたことはなかった。Iさんにお別れをして、家族にねぎらいの言葉をかけてから気付いたのは死亡診断書がない、ということだった。病棟ではたいてい婦長さんの机の引き出しにあるのだが。休日だったせいもあってこのときは近所の病院で分けてもらった。
「死の日常化」へ向けてあわてて挿管してしまったり、宴会からかけつけたり、連絡がつかず入院して亡くなってしまったり、葬儀屋さんより遅くなってしまったりいろいろ迷惑をかけながら、ひとり、またひとりと家で亡くなっていく方をお見送りする中でいろいろなことを教わっていった。そして家で死ぬことがごく普通で、当たり前だけれどすばらしいことに思えてきた。
住み慣れた家で家族や、ペットや、お気に入りの家具や食器、好きな食べ物や、見なれた天井のしみに囲まれて最期の限られた時をゆったりとわがままに過ごす。それがそんなに贅沢でかなわぬことなのだろうか。そしてそこにはそれをふわっとささえる医療者が必要なのだ。決してしきったり、押し付けたり、管理したり、無理に指導したりしない医療者が。患者さん宅へ訪問すること自体、ほんとうに望まれているのか立ち止まって考えてみる時も必要かもしれない。在宅ではすべてが患者本人や家族にとって当たり前のようにおこなわれることが必要だ。医療者にとっての常識は通用しない。病院という医療の砦の中の死ではなく、住み慣れた家という患者さんのフィールドでの死。
そこではとりあえず患者の死を決定するのは必ずしも医師でなくてもよいかもしれない。在宅では脳死もないし、法的に定められた2通りの死なんてまったく意味が無い。家族が感じた死を医者は法的に問題ないか確かめ追認すればよい。臨終という最期の厳粛な時間に医療者が無理に立ち会う必要もないだろう。家族だけでしっかりお別れし、息を引き取ったあとでおもむろに医者を呼ぶのもよいだろうし、心配になったらあわてて医者を呼ぶのもよい、家族が決めることだ。ただ医師はそれまでに、家族にあたりまえの死の過程について、決してもがき苦しんだり、突然、目を見据えて宙をかきむしってばたっと死んだりはしないことを十分説明しておくことだ。
住み慣れた家での死をあたりまえに看取ること、死をふたたび病院から家に、地域にとりもどすこと。せっかく病院から、医療から逃げ出そうとしている「死」をまたターミナルケア、ホスピスといった言葉で代表される新しい入れ物の中にすべてむりやり押し込んでしまう必要はないだろう。「死」は医療の中にあるのではない。「死」の一部に医療が関わるにすぎない。死のノーマライゼーション。死の日常化。住み慣れた家でのんびりと死んでいく人を家族や、近所のおばさんや、ヘルパーさんや、保健婦さんや、看護婦さんや、近所の町医者達が、ちょっとあわてたり、悲しんだり、あきらめたり、うれしかったりしながらなんとなく看取る。そんな死の日常化へ向けてゆったりすすんでいきたい。
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