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住み慣れた家で死ぬということ
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ドクターの目No.4 (神戸新聞)より |
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開業医として往診など在宅医療に取り組んで行く中で、自然と亡くなっていく方をお見送りさせていただくようになった。最初はとりたてて在宅ターミナルケアを支える、といった理念があった訳ではなく、ただもう入院はしたくない、という患者さんを自宅で見ていたら、亡くなってしまった、というあっさりした感じだった。 「畳の上で死なせたい。あれだけ入院はいやがっていたのだから。」奥さんの意志は硬い。やがて家族に見守られてAさんは草花が枯れていくようにだんだんと息をしなくなっていった。ああ、これが "息を引き取る" というやつだ。病院では感じたことのなかった死の自然な形を初めて教えていただいた。 その後いろいろ失敗を繰り返し、家族に迷惑をかけたりしながら自宅で亡くなる方のお手伝をさせていただいた。そんな中で自宅で死ぬことが当たり前だけどすばらしいことのように思えてきた。住み慣れた家で家族やペットや家具や食器や見慣れた天井のしみに囲まれて人生最後のひとときをゆったりとわがままに過ごす。食事時間や消灯時間や面会時間の制限などいっさいの規則がなく自由な自分の時間と空間が自宅にはたっぷりある。そして患者さんのわがままを聞いて寄り添うようにふわっと支える医者と看護婦が必要な時にかけつければいい。死は病院の中、医療の中にあるのではなく、本当は死の一部に医療がちょこっとかかわるだけのはずだ。 |
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