まちかど診療日記
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”よけいなお世話”としての家族ケア

1) 小宇宙としての細胞から家族へ
   〜研究者、そして援助者としての小宇宙への旅〜

さくらいクリニック 桜井 隆


24年前の患者と家族

 医者になったばかりの最初の1年間、研修医として大学病院の病棟で多くの患者さん達を担当させていただいた。当時はやり?だった、免疫学を学びたかった私が選んだのは血液専門の大学の医局、黎明期の骨髄移植が行われているところだった。研修医とした初めて担当した患者さんは、白血病。夏目雅子さんがそうであったように、悲劇のヒロインの病、としてその名は有名ではあるが実際はかなりまれな疾患だ。医師国家試験にやっと通ったばかりの医者が白血病の患者さんを担当するということは、免許をとったばかりの初心者マークのドライバーがいきなりF1サーキットのレーシングカーを運転するようなものだろう。
もちろんあの当時、20数年前は、IC,インフォームド.コンセントなんていう言葉はなかったし、患者本人に『白血病です』なんて本当のことを直接告げることはありえなかった。家族だけを別に呼んでの告知、があたりまえだった。

「御主人は、白血病です、血液の癌です。胃癌や大腸癌のようにそこだけ切り取ればいい、というわけにはいきません。すでに血液にのって全身に癌細胞がまわっているのですから、、」
これでもか、と病気の恐ろしさ、そして化学療法の厳しさと副作用を家族に説明した、あげく、
「御主人には、再生不良性貧血ということにしておきましょう。その方がいいでしょう。」

 そうすることが当たり前で正しいことだ、と教わったし、そう思っていた。今考えれば、家族と本人のためを考えた専門家の思いやり、というより自己満足によるよけいなお世話だったような気がする。当時は家族はケアする対象ではもちろんなかったし、それどころか患者本人でさえケアする対象ではなかった。癌細胞だけを攻撃ようとして、何も見えなかったあの頃。そのために患者本人が悩み苦しもうと、家族が嘆き悲しもうとそんなことはおかまいなしたっだ。

「しっかりきつめの、ムンテラ、家族にかましときや、予後悪いで。」
”ムンテラ ” 口頭治療、というこの得体の知れない和製ドイツ語に、口先だけで患者、家族を言い包める、という当時の医者ー患者関係が象徴されているようにも思う。今でも時々医療現場で耳にすることがあるが、まるで過去の亡霊に出合った時のような不快感をいつしか感じるようになった。
でもその時期さえ我慢すれば治る、元の健康に戻れるのならそれでもよかったかもしれない。しかし残酷にもその白血病との戦いは、ほんの一部の骨髄移植成功例を除いて、ほとんど勝ち目のないとても厳しいものだった。
おまけに最期の時まで徹底的に延命治療をほどこした、それが当然のことだった。最期は家族を病室の外に出して、あらん限りの延命処置、輸液、輸血、昇圧剤、利尿剤、そして挿管、心臓マッサージ。ほんとうは誰もそんなこと望んでいなかったに違いないのに。まるで、何かにとりつかれた儀式のようでもあった。医学の進歩はすべての病気を治すことさえ可能で、健康こそすべて、病気や死は敗北、という幻想をみんなに抱かせた。その幻想にとりつかれた儀式だったのだろう。病気や障害、死でさえも病室に閉じ込めて日常から隔離してしまったのだ。そしてその幻想は21世紀の今も生き続けている。

看取りの刻、家族は?

 患者さんの最期の刻、みんな黙って心電図のモニターの画面だけを見ていた。弱々しく波打つ波形を。それがその患者さんが最期に送るメッセージであるかのように。そしてモニターの波形がフラットになって、動かなくなって初めてみんな本人の方を振り向いた。そこにはもう”骸”が存在するだけだ。すべてが終わって始めて家族はその変わり果てた姿に対面し、泣き崩れる。そんな病室での最期が当たり前だった。
そして大学病院で1年間に13名の方の死亡診断書を書かせていただいた。そのうち8名の方の病理解剖を取ったことを自慢していた。嫌がる家族を執拗に説得して。患者の家族は最悪の結果を了解してもらう存在で、遺族は解剖の承諾書を得る対象でしかなかった。癌の告知は廊下やナースステーションの片隅でしていたように思うが、この剖検のお願いは、きちんとカンファレンスルームでしていた、そんな気さえしてしまう。そして、追い詰めらて、世話になったのだから、としかたなく身を削られる思いで承諾してくれた家族に、剖検の結果をきちんと説明したという記憶はあまりない。遺族となってしまった家族とともに悲しんだり、泣いたりするなんてありえなかった。そういった感情は捨て去って冷静沈着、に対応するのがプロとしての医師だ、と思っていたんだろう。あの時、私が看取らせていただいた患者さんの御遺族は、24年前のあの時の肉親の病室での最期の刻を、今どう思っておられるのだろうか。

今ならなんて伝えるのだろう、、、

 白血病の治療中、つかの間の緩解の時期、外来通院していたAさんはとっても困った顔で、生理が遅れていることを私に伝えた。薬のせいではなかった。検査で妊娠が判明、治療を続けるためには中絶が必要だ。待ち合い室の御主人も呼び入れて説明し、産婦人科への紹介状を書いて渡した。すまなさそにうつむいたAさん夫婦は最後まで私と目線を合わせなかった。抗癌剤の治療を続けることはわかっているのに、これで治療が遅れてしまう、治療計画に支障を来したことを、彼等のためではなく、私は自分の都合でいらだっていた。
あの時、うつむいて、涙ぐんでいた彼女に私はどう話したのだろうか。そしてそれをAさん夫婦はどのように受けとめたのだろうか?そして、今の私ならあのAさんに、そして御主人にどのように伝えることができるのだろうか。

小宇宙としての細胞、そして 家族

 その後、病棟を離れた私は、細胞工学、という当時ナウかった(今ならトレンディ、これも古いか?)研究分野に進んだ。サンフランシスコのゲイ達の間に密かにひろがりつつあった、原因不明の後天性免疫不全(AIDS)の原因がHIVウイル、であること、そして九州地方に以前からあった、きれいなさくらの花びらのような形をした核を持った白血球が増える特殊な白血病が、ATLウイルスによる成人T細胞白血病であることが判明しつつある、そんな80年代前半だった。
免疫学、細胞工学の手法で、癌細胞の表面にある抗原をつかまえれば、それを利用して癌細胞だけを同定し、正常細胞に全く害をおよぼさないで癌細胞だけを特異的にやつけることができるようになる。そんなことを信じていた。ミサイル療法、というやつだ。癌細胞だけにひっつく抗体に、リシン(スパイが傘の先につけて狙った的を刺して毒殺する時につかうという毒素)をしのばせて癌細胞に送り込んで暗殺する、そんな”Mission Impossible ; スパイ大作戦”みたいなことを夢見て研究していた。でも、癌細胞というやつはとてもそんなに簡単にやっつけられるものでもなかった。それは基本的に他者ではなく、本来の自分自身の細胞が変質したものであるがために、他者と自己、といった区別が本来はできないものだったのだ。内なる自分自身との闘い、そ
れが永遠の課題であるかのように。

『細胞はそれ自体がひとつの小宇宙だ』

癌細胞だけを攻撃しようとしていたあのころ、研究者のはしくれとして、顕微鏡で見ていたひとつ一つの細胞、それ自体がもつ不思議な機能とその奥の深さは、まるで宇宙空間にまよいこんだように、到達不可能で、神秘に満ちた世界であった。

そして今、『家族はそれ自体がひとつの小宇宙だ』

在宅ケアの援助者として家庭へ、家族の中へ侵入する今、医療者のはしくれとして、垣間みるその世界は、和音と不協和音、香りとにおいが渦巻く、理解不可能で、神秘と不思議に満ちた世界だ。
細胞から家族へ、免疫学、細胞工学からホームホスピスケアへ、いろんな紆余曲折はあったが、結局小宇宙の謎に魅せられて、その内なる世界へと迷いこむしかなったのは、探究心というにはあまりに下世話な好奇心のなせるわざだろう。基本的に”家政婦は見た!!”の世界に等しい。細胞と家族、研究者と援助者、侵入して謎を解こうとする姿勢は同じだ。そして必要以上の侵入はその存在を破壊してしまう、という点でも。
病んだ家族、病んだ細胞、その判断基準とはなんだろうか?そしてそれは誰がどうやって決めるのだろうか。細胞、そして家族という小宇宙のなかではどのようなことでも起こり得る。そして基本的に自己完結があたりまえのその小宇宙に対して、いったい何故、外部からのケアが必要なんだろうか。自己修復、自己再生、そして自己融解、アポトーシスという最終手段でさえそれは本来、細胞、家族そのものが持っている機能のはずだ。
いつから自己修復、自己再生に早々とみきりをつけて、他者の介入、援助が必要、と考えるようになってしまったのだろうか?

専門家にまかせる、ということ

 人類の悠久の長い歴史の中で、すべてが自給自足だった時代、もちろんケアはすべて自前だった。あるいは、回りの人がそれぞれにケアしあう、相互扶助があたりまえだった。
あらゆることに分業が進み、日常生活のすべてをそれぞれの専門家、に急速に依存するようになった20世紀。着ること、食べること、住むことから身体のこと、病気のことそしてついに心のことまで。もちろん専門家はすばらしいものを提供してくれるはずであった。専門家におまかせすれば、すべてが上手くいくんだ、、それが幻想であることに、人々がは20世紀が終わろうとするころやっと気付き始めた。
そして21世紀の今、社会のさまざまな分野で、専門家への一方的な依存が危険視されているのに、心のケア関してだけはいまだに専門家指向が加速している。事件が起こると必ず被害者、犠牲者、そしてその家族への心のケアを担当する専門家の必要性がマスコミで論じられる。でも、本当に、そういった危機的状況で、その時だけ忽然と現れる専門家のケアが心を救うのだろうか?
病に、障害に苦しむ患者のケアに加えて、その家族のケアが、本当に必要なのだろうか?患者本人のケアさえ十分にできているとはいえない我々医療者が自己満足のために、あるいは、あの頃の罪ほろぼしのために、家族のケアを、などと勝手に思っているだけなのではないだろうか?
医療者が、病気の治療だけにかまけていて、患者や家族の心のケアなんか見向きもしなかったあの頃、放置されたがために患者、家族が自給自足的にケアをおこなっていた頃と比べて、専門家がケアにしきりに介入する今の方が本当にいいのだろうか?
よけいなお世話、だと家族は声を上げてはくれない。
家族ケア、そのものの存在意義についてぼちぼち考えてみたい。

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