まちかど診療日記
| HOME | クリニックのご案内 | お知らせ | 診療日記 | 在宅ケア | リンク | サイトマップ|




”村八分”

さくらいクリニック 桜井 隆

「なんやこのお供えは?」
小さく6つに切った食パンのうえにたっぷりと塗られたマヨネーズを見て、いさおさんの息子さんはつぶやいた。
「食パンにマヨネーズ、がいさおさんの大好物だったんですよ、あなたは、、、」
ちょっと棘のあるヘルパーの言葉を、ケアマネージャーの恵子さんがふわっとさえぎった。

「ええ、本当にいさおさん、マヨネーズのせた食パンがお好きだったんですよ。体調が悪い時でもこれだけは食べておられましたよ、長生きの秘訣だったんでしょうかね。98歳までお元気だった。」
いさおさんのお通夜の参加者はヘルパー、ケアマネージャー、訪問看護師、デイケアのスタッフ、送迎の運転手さん達が真ん中に陣取って思いで話に花が咲き、家族はちょっと居づらい雰囲気だった。

いさおさんは90歳を過ぎてから日本海側の生まれ育って住み慣れた町から、都会へ移り住んできた。
「古い植木を植え替えたらあかん、すぐに枯れてしまうと言われたけど、わしは雪の降らん暖かいとこへ植え替えてもろて幸せや。おかげで元気になった。」というのがいさおさんの口癖だった。
近くに住む息子さん達をたよって、ではあったが、よく言えば自立心が強い,でもとっても頑固ないさおさんにご家族はあまり近寄ろうとはしなかった。それは長年の家族関係の結果であって、一概に家族だけを非難することはできないのだが。

認知症がすすんで、いよいよ一人暮らしが困難となって来た時、最期まで家に居たいといういさおさんの願望をなんとか支えようとしたケアスタッフ達の熱意とは裏腹に、あっさり施設入所を決断してしまった家族にさからうかのように、いさおさんは入所1週間でぽっくり死んでしまって遺体となって家へ帰って来てしまった。
(やっぱりいさおさんを施設へ入れるんやなかった、あれだけイヤがっていたのに、、、)ケアスタッフ達全員の憶いではあったが、所詮サービス提供業者、家族の決定には従わざるを得ない。

「地域の人達に支えていただいて、父は天寿を全うすることができてとても幸せでした。」
という息子さんの挨拶にケアマネージャーの恵子さんは素直にうなづくことはできなかった。
(地域の人達と言うても我々サービス提供業者のことでしょ、実際に団地の人達が支えたわけではないし、誰もお通夜にさえ来ないもの。地域のコミュニティーで看取る、なんてよくその筋の本に書いてあるけど、本当にそんなことできるのかしら。でもこれだけ多くケアスタッフに支えられたいさおさんは幸せよね。)

“村八分”という言葉がある。江戸時代の私的制裁から出た言葉で仲間はずれということだが、残り二分は火事と葬式だ。震災の経験から21世紀の日本でも一分は残っているようにも思ったが葬式に関してはどうだろうか、近所の人の看取りや葬儀に地域でかかわるなんて今ではちょっと考えられない、本当は村九分なのかもしれない。 
ケアサービス提供業者として我々がもう”一分”になり得るのだろうか、とケアマネージャーの恵子さんは、いさおさんのお通夜のお経を聞きながら考えていた。

 

TOP


Copyright (C) : 1998-2006 SAKURAI CLINIC. All rights reserved.