まちかど診療日記
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”よけいなお世話としての家族ケア”

家族が崩壊し、
時が止まって『もの』が堆積しはじめた

さくらいクリニック 桜井 隆


”もの屋敷" のこと

 いわゆる”もの屋敷、ごみ屋敷”というのを御存じだろうか?家中にいろんなものやごみが積み重なって散乱し、足の踏み場もない、というのがたとえではなく事実としてあるという家のことだ。時々、TVで、おもしろ半分にトラック何台分のゴミを処分した、などと劇画チックに報道されている。そういった”もの屋敷”が以外に身近にひっそりと存在するということに、数多くの在宅ケアを行って家庭内へ侵入していく中で気づかされた。

別に在宅ケアをしなくても、宅配業者さんなら、トビラを開けたとたんにものが崩れ落ちるかのように積み重ねられた玄関から普通の子供が当たり前に荷物を受け取りに出てくる家があるのを知っているに違いない。おそらく地域の数百件に何軒かは存在するといっていいだろう。だからあなたがもしマンションの上層階に住んでいて、その窓から展望することができる家が数百件あるとすれば、その中にはいくつかの”もの屋敷”が存在している。いや、あなたのマンションにも存在するやもしれないのだ。家、家庭、家族は、基本的に細胞『CEll』であり細胞膜で外界から隔離されていて、内部はうかがい知ることができない空間だ。そして我々援助者は、その細胞として機能している家族がその構成因子の病気や障害によって自己存続が困難となった時に、援助者として侵入することで細胞内の状態を垣間見ることになる。

食道癌末期

 彼はある日の外来にほんとうにふらっとあらわれた。古い黒ぶち眼鏡、七三に分けた少し油っぽい髪にはかなり白いものがまじり、やせた中年後期、いや初老の男性という感じだった。あまりきりっとしない身なりではあったが、そこそこのインテリジェンスを感じさせる雰囲気は残っていた。かつては栄華を誇った遺跡を見る、と言ってしまえば少し大袈裟だが。

「食道癌です、転移してね、抗癌剤と放射線治療を終えて今家にいるんですが、こちらで往診とか、癌の痛みの治療なんかしてもらえる、と聞いたもんで、、ええ、今はなんとか来れるんですが、いつまで来れるか、、」
やせた彼の風貌は「何か御質問はありませんか?」と一斉を風靡した手品師、伊東一葉さんを思いださせた。確か、彼も癌で他界したような。

治療を受けている病院からの紹介状や検査データーを見せながら、ひとごとのように自らの置かれた状況を説明する彼の話に感心していると、その視線を感じたのか「ああ、一応これでも歯科技工士なんですよ、だから医学の知識はちょっとはね。」といって弱々しく笑った。4年前に手術した食道癌があちこちに転移、状況はかなり厳しそうだ。あまりに客観的に話す彼、しかし本当にところ、いったいどこまで理解しておられるのだろう?転移に対する抗癌剤、放射線治療が奏功しない、となるとひょっとすると残された時間は少ないかもしれない。

最期に「御家族は、?」と尋ねると、にやっと笑って「いない、ひとり。」と答えた。さらに「裁判所に呼ばれているんだが、体調が悪くて行けない、という診断書を書いてほしい」という。外来通院できるんだから、と言いたいところだが、わざわざ遠くから今日うちへやってきた目的がそれ、のような気がして、乞われるままに診断書を書いて渡した。確かに、長時間に尋問や交渉は無理だろう。「別れた嫁はんに訴えられてるんです。」彼はまた弱々しく笑った。「立ち退きを迫られてましてね、でも行くところもないし、まあでもどうせ、もうすぐ天国、いや地獄かな?ですからね、このままいくとね。それまでなんとかね。」

癌末期で独居の元夫に立ち退きを迫る元妻、なんて冷たい鬼のような、、と一方的に元妻を責めてはいけない。もちろん援助者として目の前にいる弱った人の味方になりたい気持ちは当然だ、でもそれとは別にそうせざるを得ない事情が元妻にはあるかもしれないのだ。もしあなたが彼女の話しをじっくり聞いたなら「よく今までがまんしてたわね、癌の末期だろうとなんだろうと、今すぐあんなやつ、たたきだしてしまいなさい!」という事情があるもかしれないのだ。一方的な判断は禁物だ。それにしても、今の彼に裁判、はあまりに過酷だ。時々痛む、という腹部をなでながら、でも痛み止めはまだいらないから、と、診断書だけを持って、また来るからといって彼は帰っていった。

堆積する 時間 と もの

 なんとなく気になって忘れられない患者さん、というのはいるものだ。1週間後、心配になって彼に電話してみると、案の定、痛みがでてきてちょっと通院が苦しいと言う。薬をもって往診に行くことにした。そろそろモルヒネが必要な時期かもしれない。

駅前の高層ビルは下から2ー3階までがテナントで、その上が住居となっている。駅前は再開発で、どこもかしこも似たようになって個性を失ってしまった。
バスターミナルとタクシー乗り場とマクドとミスド。コンビニにスーバー、携帯電話屋とクイックマッサージ。彼の住まいはそんなビルの10階だった。スーパーへの入り口の角を曲ったところ、”飲ん兵衛”というべたな名前の立ち飲み居酒屋のとなりに普段なら見逃してしまうであろう、住居への入り口があった。エレベーターで10階へ昇ると、細胞表面にわずかに見える抗原のように、家族の存在を唯一外部に知らしめているドアの表札には何故か 西井、田辺、と二つの名前が書かれていた。一応インターフォンを鳴らしてから、そっとドアをあけると、玄関、そこには、その本来の役目を果たすことをやめてしまったもの達が、うずたかく積み重なっていた。そしてすべてものの上に、深海に降り積もるプランクトンのように白いほこりが堆積している。

ある刻から、ゆっくりと時が止まり、いろんなものが、静かに堆積しはじめた。空気までがよどんで動きを止めている。それはいつからなのだろう。壁にかかった2000年のカレンダーがその時を示しているのかもしれない。このカレンダーが壁に画鋲で止められた2000年の1月、にはここにも外界と同じように時は流れていた、でも2001年の1月に新しいカレンダーに架け替えら得ることはなかったのだ。その1年間にこの空間にいったい何が起こったのだろうか?ベスビオス火山の噴火で一瞬にして火山灰の下に沈んだポンペイの街のように、あるいは一夜にして海底深く沈んだ幻の大陸アトランティスのように。その刻、家族は崩壊し、時計の針はゆっくりと動きを止めた。

ベランダに置かれた子供用の補助ぐるまのついた自転車、古い、懐かしい動物の絵柄の積み木、ディズニーの絵本、きりんの輪投げやいるか頭のついたうき輪、くまさんに抱かれためざまし時計、そしていろんな料理の本、悲しげに、でも何も言わずに堆積しているすべてもの達のひとつひつとつが止まった時間のなかで分厚いほこりをかぶっている。歯が抜けたようにごそっと空間ができている本棚や食器棚は、去っていった元妻がいっしょに持ち去った部分だろうか。置き忘れられたエキスパートナース増刊号『注射点滴、エラー防止!』元妻は、ナースだったのだろうか?その空白にはよりいっそう深くほこりが堆積してる。ここに住んでいるごきぶりでさえほこりにまみれて白く染まっているのでは、というくらいに。

そんなマンションの奥の1室に同じようにものに囲まれて彼は、弱々しくベッドに横たわっていた。なんとか外来にたどり着いていた1週前よりさらにやつれて、あともう1週間このままなら、彼自身がこの中で”もの”と化して堆積してしまってもおかしくない、、そんな印象さえあった。

彼の希望であまり意味がないかもしれないたった500ccの点滴の針を刺し、滴下する水滴を見るともなく、本箱の隅にたてかけられたパパを描いた?と思われる子供の絵に目をやった私に気付いたのか、彼は「晩婚で子供が小さかったんですよ、ええ、でも年とって結婚したのは間違いだったんですよ。家族に出ていかれて、癌になって、まあそんなもんですよ。」ほんとうに他人ごとのように彼はつぶやいた。
「ちょっと大変そうですね、、あの、やっぱり入院なさった方が、、、」
在宅至上主義の私も、さすがに一応、入院を勧めてみた。もちろん彼の答えはNOだった、やっぱり。彼はこの中で化石になろうとしている、そんな感覚だった。

かつて彼が愛したであろう家族が残したものたちの中で。こんな家族の形もありなのかな、とふと思った。家族が去っても抜け殻をひきずっている彼は、それを愛しているからあるがままに温存しているのだろうか、また憎んでいるからほこりにまみれるままに放置しているのだろうか。彼をこの空間から救い出して、とりあえず安心(もちろん我々援助者にとって)な病院へ強制的に送りこむのが得策なのか、清掃業者やヘルパーをこれでもか、と送り込んで在宅ケアが可能な環境(これも我々援助者にとって)を設営するのか。 

たぶんどちらも彼は望まないだろう。家族が崩壊し、彼が病気になって、そしてこの空間の刻の流れがゆっくりと止まって、ものが停滞し、ほこりが堆積した。アポトーシスという言葉が脳裏に浮かんだ。自死寸前の細胞のようなそのCELL内への無理な侵入はかえってその終末を早めるだけのようにも思える。なにもしない、ということの意味もそこにはあるかもしれない。でも、とりあえず助けを求めた彼の意図はなんなのだろうか?
点滴の針は自分で抜けるから、という彼を残して、その部屋のドアを閉めた。
その瞬間から、その空間は彼だけのものとなり、また静かにほこりが堆積しはじめる。家族の残したものたちの上に、静かに、音もなく。

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