まちかど診療日記
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”よけいなお世話としての家族ケア”

「最期の光り」

さくらいクリニック 桜井 隆

 「注射だけしていただけますか?往診で、ええ、それだけでいいんです。希望どおりの在宅ケアします、ってホームページ見たんですけど」
かなり一方的な中年女性の依頼の電話。電話口でちょっとむかついたが、そこは一応プロ、にっこり笑っても電話の相手には見えないが、まあ声のトーンは伝わるよね、と思いながら、快く(表向きだけだが)依頼を引き受けた。

 医者は患者に対して決してムカついたり、キレたりしてはいけいことになっている。もちろん医者だけじゃない、ナースさんも、ケアマネさんもヘルパーさんも、いいやすべてのサービス業でクライアントに対して、感情をぶつけることは決してしてはならないことだ。感情規制、がかかっているということだが、そう考えると友人や家族に対してだって、感情そのままでぶつかるといろいろ大変なことになってしまうだろう、対人関係すべての状況で程度こそ違え、感情規制がかかっている、ということか。生きていくって疲れるよね。

 まあともかく往診に行ってみることにする。どうしてこんな一方的な往診の依頼をしてくるのか、それなりの理由があるのでは?といった好奇心にそそのかされた、といってもいいだろう。好奇心、というのは時としてとても素敵な動機になる。動機は不純?かもしれないが、結果がよければそれでもいいよね、など勝手に思いながら。

 週3回、”角海ワクチン”を注射してほしい、という依頼だったので、電話の中年女性の親が癌の末期なんだろう、と勝手に想像していたが、意外にも注射をするのは、息子さん、高校生の男の子だった。
彼は骨肉腫で肺転移があるという。治療はどうなっているのだろうか?いろいろ話しを聞いてみると、もともと少年野球のエースだった彼は高校生になってもがんばって甲子園をめざして野球を続けていた。その彼がどうもいつもと違う膝の痛み、夜間の安静時痛を訴えて近所の病院を受診したがなんともない、使い痛みだろうと言われただけ、1ヶ月間湿布や軟膏でがまんしていたが、膝が腫れて、痛みがひどくなって他の病院を受診、すぐに大学病院を紹介された。

 その時大腿骨の骨肉腫はすでに肺に転移、大腿骨の腫瘍は切除し、下肢の切断はなんとか免れて、腫瘍対応の人工膝関節で歩けるようになり、肺の転移も放射線と抗癌剤で一度は抑えられたが、1年後には再発、転移してしまったという。
 その後の治療について訪ねると、「ええ、もう病院には行きません、でも大丈夫なんです。」
と彼女、お母さんは力強く言い切った。
「私達には”虹の光”様がついてますから、この子は助かるんです。ええ、絶対に。」なるほど、疑問が氷解した。虹の光、という信仰?にすべてをゆだねたのだ。

 なんとなく医者である私にとっては居心地の悪いこの雰囲気、本人を守るようにとりかこんで座っている家族、父も、祖母も、妹もみんなそれを信じているのだろうか、、本人が必ず治るということを。なぜか私に向ける視線が冷たい。彼をこんなにしたのは私ではないのに、私に責任はない、と思わず言いたくなるような。(だったらなんで”角海ワクチン”を?)そんな疑問をぶつけることさえはばかられるようだった。
でも、その家族の力強い思いとはうらはらに、彼の状態はどうみてもよさそうではなかった。居間の片隅のソファーに横たわった彼はやせおとろえ、頬はこけて、痛みに耐えているのか、眉間に皺をよせ、苦しそうに肩で息をしている。一見して残り時間はあまりないように私には思えた。やはり酸素飽和度は88%、しかもかなりの頻呼吸だ。

「酸素を家でも吸えますが、在宅酸素、多少コストがかかりますけど、楽になりますよ。すぐに機械を手配しましょうか?」
「いえ、自然の空気の方がいいんです、酸素吸入なんかいりません。」
そういえば今気づいたんが、結構冷え込んできた晩秋の夕暮れに、彼がよこたわるソファーの近くの窓は開けはなってある。どうりで上着が脱げないわけだ。
「痛み止めは?、、」
「本人の自然治癒力を弱めるから使ってはいけないんです、痛みや苦しみに耐えることで戦う力が、治癒力が養われるんです。」
家族みんなが無言でうなずいたように思えて、私はそれ以上なにも言えなかった。
(なんていうことだ、モルヒネどころか、いっさいの薬を拒否している、家族はそれでよくても、でも彼は?、、、)
私は彼を見た、ほんの一瞬視線を合わせた彼の瞳はその時、確かに私に救いを求めていた、と今でも私は確信している。でも彼はすぐに目を伏せた。そして私が立ち去るまで、二度と視線を合わせることはなかった。

 家族の希望どおり私は”角海ワクチン”だけをうちに週3回、往診に行った。いったい何をしているのだろう、確かに家族の気持ちには寄り添っている、でもこれでいいのだろうか?と自問自答しながら。無理矢理にでも入院させたほうが、彼は未青年、児童虐待ではないのだろうか、保健所いや警察に、など考えてはみたが、すべてを信じる家族の前ではとてもそんなことはできはしない。
家族に聞かれないように内緒で彼に、「痛み止めを出そうか?」と尋ねてみたこともあったが、彼の答えはきっぱりと「NO」だった。

 痛みと呼吸苦に最期まで耐え、そして彼は逝った。やっと彼に安らぎのときが訪れたのだ。最期の瞬間の後、死亡確認に訪れた私にとって、取り乱すでもなく思いのほか家族みんなが落ち着いていたのには、ちょっと拍子抜けしてしまったぐらいだ。涙色に彩られてはいたが、いったいあのふわっとしたやすらかな空気はなんだったんだろう。
絶対に助かる、と信じていた彼が逝ってしまったというのに。永遠に痛みと苦しみのない世界へと旅立っていった彼の微笑んでいるようなやすらかな死顔がみんなをそうさせたのだろうか。

  しばらくして精算にクリニックを訪れたお母さんに在宅ケアのねぎらいの言葉をかけた後で、ちょっと意地悪く尋ねてみた。
「00療法、やっぱりだめでしたね。」
「ええ、だめなのはわかっていたつもりです。でもいいんです。最期に私達に光りをみせてくれたから。先生達は転移だ、再発だ、もうダメだ、生存率10%だ、副作用が、、、と悪いことしか教えてくれなかった。私達は絶望するしかなかった。でも、虹の光に出会えて最期の半年間は虹を、光りを見て希望を持って過ごすことができたんです。だからみんなで明るく過ごせた。あの子も最期まで本当によくがんばった。私達は幸せでした。」
本当に私達は、だったのでしょうか?今となっては尋ねてみることもできません。

 残された時間が少ない末期癌の方に希望を持っていただくことは、未来の光りを見ていただくことはたとえそれが幻想であっても、すばらしいことなのかもしれません。我々医者は正直に事実を伝えようとすればするほど希望の光を消し去ってしまうかのようです。でもいつわって回復を約束することはできそうにありません。
あちこちの病院で見捨てられて来たけれど、先生は最後まで付き合ってくれてうれしかった、というおかあさんの言葉だけが救いでした。
 しかし、私にはあの時の . .彼の視線が脳裏に焼き付いていて、お母さんときっちり視線を合わせることはできませんでした。

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