「先生、たつじいさんちの冷蔵庫がなくなってました。」
訪問看護から帰った由起子ナースの報告の意味が最初は理解できなかった。
「どうも、あの孫娘が持ち去ったらしいです、旦那と一緒に来て。信じられない! 冷蔵庫の中のものは全部台所のテーブルにほおりだしてありました、この暑さではすぐにダメになってしまうわ、冷蔵庫をなんとかしないと。」
ことのいきさつはこうだ。
軽度の認知症のあるたつじいさんはひとりぐらし、6年前に奥さんを亡くしてから、だんだん元気がなくなり、物忘れがひどくなってきた。それぞれの事情で子供達は引き取れない、ということで、施設入所をいやがるたつじいさんの希望にそって介護保険で目一杯のサービスを導入して彼の1人暮らしをなんとか支えていた。
ばあちゃんが亡くなった時はショックで落ち込んで、眠れなくなった、とうちのクリニックにも通っていた当時は高校生だった孫娘がちょくちょく様子を見に来てくれていて、じいちゃんもよろこんでいる、とみんな思っていた。
ところが、頻回にじいちゃんの財布が空になっていて、ヘルパーが買い物に行けない、という事態がおこっていたのだ。どうも孫娘が来た後に無くなる、ということでお金の置き場所を変えてみたりした、が、部屋中ひっくり返して探しては取って行くようだ。たつじいさんに聞くと、孫にちょっと小遣いをやっただけだ、と涼しい顔、自分の食費や電気代まで危ないというのに。
おまけに、ケアマネージャーに”おじいちゃんが新しいテレビが欲しいと言っているから”とか”おじいちゃんの知人が無くなって御葬式に行くので香典を”などお金を要求する電話が頻回に入るようになった。金銭管理をしている社会福祉協議会の地域福祉権利擁護事業の生活支援員とも相談、経済的虐待にあたり、高齢者虐待防止法にふれる、と孫娘に伝えると共に、成年後見制度の利用も考慮することとした。
たつじいさんは、というと、いつものようにニコニコ笑って、とって大きな音のTVを見るともなく眺めている。このTVも無くなるのでは?というこちらの心配をよそに。
それにしても、ばあちゃんが住み慣れた家で家族みんなに看取られて亡くなったあの時、震えながら涙を流していたあの娘が、そしてそれを優しく見守っていたあの家族の姿は今は幻のようだ。あれから6年、あの家族それぞれに何があって、こうなってしまったのだろうか。みんなに看取られたうめばあさんと、冷蔵庫を取られてしまったたつじいさん。
同じ家族の中におこった変化、流れる時間と環境が変えてしまった何か、を感じることがあまりにつらくて、たつじいさんは物忘れの世界に逃げこんでしまったのかもしれない。