二つの異なるものが触れあう局面ではいろんなことがおこります。
二つの文化、宗教、 人種、あるいは男と女、人間と動物、人間とウイルスといった関係もそうかもしれません。こういったインターフェイスで摩擦がおこるか、融合できるかはかかわりあう双方の事情や考え、力関係などさまざまな因子に左右されるようです。
人間は昔から二つの違った考え方が出会う局面でさまざまな対立を繰り返して来ました。その対立を融和させようとするのが対話です。国と国との外交もこういった局面での対話といえるでしょう。
また違った切り口でみれば、日常生活でもいろんなところで二つの異なるものが対峙します。専門家としての医者と、患者としての一般人とが向き合う医療現場という局面でもさまざまな問題が起こっています。社会の現場、いろんな日常生活でこういった「専門家 vs 一般人」という構図がみてとれます。そしてその領域の専門性が高ければ高いほどその局面での摩擦は大きくなるようです。医療や司法の現場は特に摩擦が多い領域でしょう。二つの異なるものが触れあう局面と同じと考えれば、やはり摩擦の解決には対話しか方法がありません。
たとえば異文化、言葉の違う人々と対話するには相手の言葉をお互い、あるいはどちらかが理解するか、通訳が必要となります。共通の言語がなければ、意志の疎通がで
きないからです。ところが、この専門家vs一般人、という局面では、ちょっと話しが違います。なぜなら専門家も家へ帰ればただのひと、一般人の言葉がわからないわけではないからです。専門語と一般語、どちらもわかるバイリンガル、というわけです。そのバイリンガルのはずの専門家が、専門用語で話してしまう、あるいはバイリンガ
ルであることを鼻にかけて偉そうにする、そんなところが対話がうまくいかない原因 かもしれません。
足のふくらはぎが赤く腫れて熱っぽい、痛みがある、と診察に訪れたあなたに「カタイノホウカシキエンデス。コウセイザイトセイチョウザイヲショホウシマス。
おたいじに」と言われても困ってしまいますよね。「細菌感染によって皮膚が化膿している状態で、蜂窩織炎といいます。細菌をやっつける抗生剤と、その副作用である
胃腸障害をやわらげる整腸剤を処方します。」これでもわかりにくいかもしれません。
専門語と一般語、両方理解できる専門家がわかりやすく話しをして初めて専門家として価値があるはずなんですが。二つの異なるものが触れあう局面での対話、専門家と一般人という局面でも双方が立場を尊重しあって融和を試みる、そんな対話ができればと思います。