昨年は台風、地震、津波といった自然災害で多くの犠牲者が出ました。
特にスマトラ 沖地震による津波の被害は想像を絶するものがあります。海外のニュースで”Tunami”という日本語が国際共通語として使われていることを始めて知った方も多いでしょう。
”Karaoke”が国際語なのは有名ですが”津波”という恐ろしい自然現象を表す日本語が広く使われるのは複雑な心境です。
その津波。危うく難を逃れた人達も多くいたと聞きます。”急に潮が引いたら山へ逃 げろ”という古い言い伝えに従い、ほとんどの人が助かった村もありました。多くの被害者が出た村でも”なんとなくおかしい”と感じて海岸から離れて、間一髪、九死
に一生を得た方もおられると聞きます。その人たちがとっさに抱いた”危機感”とはどういう感覚なのでしょうか?多くの動物は津波の来襲を感じて高台へ逃げたともいわれています。
なんとなく危ない、気味が悪い、ここにはいない方がいい、といった危機感は動物が本来持ち合わせている本能的感覚なのかもしれません。あまりに人が多く集まってい
る中へ分け入る危険、逆に全く誰もいないところへ行く危険、それらを察知する能力は誰かが教えてくれるものではありません。
かつて、生物学的にはより動物に近かった人間にも、きっとこの感覚はあったでしょ う。それが頭で考え理性が本能に勝るようになって久しい現代社会では、身体で危険を感じることができなくなってしまっているように思います。
キャットフードでまるまる太ったペットのネコを見ると、とても野生の身体感覚を持 ち合わせているとは思えません。動物を野生に近い状態で飼育しようとするサファリパークではわざと週3日は全くえさを与えないといいます。言い換えれば太った飼いネコは鏡に写った我々人間の姿かもしれません。
頭で考えたことの集積でもある人間の文化、その特徴でもある嗜好があまりに究極化したために起る弊害がそこにはあります。本来飢えをしのぎ生き延びるための”食”
が飽食、グルメと化して逆に健康を蝕むように、人間が生きていく上で必要な本能の部分を侵食しているかのようです。
食べ過ぎ、飲みすぎ、運動不足といったことが原因となる生活習慣病や喫煙といった習慣も、身体の危機感覚の欠如がなせるわざ、なのかもしれません。また逆にそれが人間らしさの一面ともいえるのでしょうけど。