● 患者傷害法の一考察 ●

カール・エスペルソン
(2000年8月発表;筆者はスエーデン患者保険協会法律顧問)

翻訳:小村 幹夫 氏



背景と歴史

患者が医療に関連して傷害を被った場合、患者に対する補償はどうあるべきかと言う問題は、長いこと議論されてきた。

1972年の不法行為損害法(the Tort Damages Act of 1972)以前は、治療障害の補償を得ることは困難であった。不法行為損害法が導入されて現実の状況が変化したと言うわけではない。この法律の発効後でも、裁判の中で、治療に関連して傷害が病院スタッフの過誤または不作為に起因していることを証明するのは、患者にとって困難である。その理由の一つは、医療を巡る状況が複雑で、専門知識の無いものには調査が困難なことが多いからである。それゆえ、不法行為損害法によって補償を得ることは、患者にとって時間がかかり、高くつく手続きと言ってよい。

このような状況では、医療関連の傷害に対して損害賠償を得るのは、傷害を被った人々のうちごく少数に過ぎない。1975年直前数年間に医療関連の人身侵害(すなわち、身体的な被害)で補償を受け取ったのはわずか10件ほどに過ぎない。それ以外に、医療機関が加入している賠償責任保険から直接補償金を得た患者があり、又少数の患者は極度の困窮で、医療機関から、法的義務でなく好意による補償金を受け取った。1975年以前には、1年につき合計100名ほどが、治療に関する紛糾で何らかの補償を得ていた。

不法行為損害法の起草に当たり、治療障害に対する不法行為賠償責任に関する特別規定が問題になった。提案の一つは、治療傷害に対し厳格な損害賠償責任(すなわち、過誤や不作に依存しない賠償責任)を導入することであった。然しながら、傷害の発生率はそれ程高くなく、間違いなく異常であると認められるほどの傷害もそれ程多くないので、特別の制度を設ける正当性はないと感じられていた。

それでも、国会には治療傷害に対して補償を得る権利を拡大する動議がいくつか提出されたが、却下された。その理由は、どの医療関連傷害が補償され、どれが補償されないか、法律に表現するのが技術的に困難で、具体的に明記できないと感じられたからである。当時治療傷害の補償に関する特別規定のある国は存在せず、この件に関して外国の経験に学ぶわけには行かなかったことに注意すべきである。
それにもかかわらず、スエーデン地方公共団体連合の理事会は、地方公共団体のため補償を受ける権利の拡大に賛成し、1971年2月にはこの問題の研究を決定した。これはすべて医療の大拡充期に起こったので、進歩した新治療法により、それまでよりももっと多くの病気の治療・治癒が可能になった時期である。このことは、もっともっと多くの患者が医療の恩恵を受けられることを意味する。しかしながら、治療の量が増えるにつれ傷害を被る患者も増える(増えるのは治療数に対する比率でなく、絶対数である)。とりわけ、従来よりももっと進んだ診断法の出現で、以前よりも大掛かりな綜合的外科手術が実施されるようになり、また危険率の高いグループの患者の手術の数が増えるにつれ、医療分野における紛糾の数が増えた。

立法措置をとる代わりに、任意共同保険(voluntary collective insurance)と言う解決策が採用された。1975年1月1日、地方公共団体の任意患者保険が発効した。続いて公立及び私立の医療機関の殆どすべてが患者保険を導入した。1994年12月31日まで、この保険はFolksamと LansforsakringsbolagenとSkandiaとTrygg-Hansaが構成するコンソーシアム(共同企業体)が運営した。この保険制度により公立及び私立の医療機関は、医療に直接関連した治療傷害に対して補償する責任を自発的に引き受けた。

この保険により、過誤や不作為に関係なく賠償金が支払われるので、治療傷害を被った人々が補償を受け取るチャンスは大きく改善された。この保険は客観的根拠に基づいて賠償金を支払う。患者保険の導入以降、賠償責任の問題は賠償支払いの問題から切り離された。それでこの保険は保健医療責任局とも保健厚生全国委員会とも結びついていない。したがって患者は賠償を受ける権利を得るためにもう医師を「やっつける」必要がない。この保険は医師などの医療要員と患者の間の信頼を強化するための基盤を創造した。現在の状況は、もし医療に関連して傷害が発生したら、傷害報告に着手するのは通常医療要員である。推定によると傷害報告の40‐80%は医師や看護師、民生委員が患者の報告を手助けしている。この事実に外国人、特にアメリカ人は驚いている。この保険の最重要機能は、賠償金の問題の他に、信頼の維持と、賠償金受け取りに当り患者が経験する是正されたと言う気持ちである。

このような具合に、患者保険の導入で治療障害を被った患者に賠償するチャンスは根本的に改善された。現在では、年間で9500件ほど治療に関する紛争が報告されている。その45%(年あたり4000件以上)に対して賠償金が支払われている。賠償金の年間合計は3億クローナと推定される。

1992年11月政府は特別調査委員を委任して患者保険制度を審査した。患者保険調査として知られているものである。調査の目的は医療機関の賠償責任と治療傷害のための保険加入義務の輪郭を明確にすることである。この調査委員会は、当時の任意保険制度が医療機関のすべてには患者保険加入を要求していない点を強調した。全機関加入でないことは、患者傷害の場合にどのような医療状況でも患者は一様な経済的保護を受ける、という保証が無い危険を意味する。全医療機関のうち任意保険未加入は約5%であったが、これらが占めているのは治療総数の1%以下である。それでも、医療機関の増加もあり、一部の医療機関に故意か、うっかりからか、保険に加入しない傾向が増大した。そのうえ、保険に加入している医療機関は、無保健医療機関による傷害を受けた患者にも賠償を受ける権利を保障する任意保険に関心が無かった。

1994年に患者保険コンソーシアムは休止した。休止の理由は、このタイプの企業連合は1993年制定の新「競争法」の競争の制限を禁止する条項に適合しないと考えられたからである。コンソーシアムの休止により任意保険制度の基盤の一つが消失した。1994年まで患者保険はコンソーシアムが中心になって、国民健康管理制度と密接に協力して運営してきた。この協力により賠償準備金を共同でチェックし改善する基礎が創られ、また規則の変更や実施上の問題の解決に共同で取り組むことになった。

1990年代の初期には、もはやスエーデンが患者保険のある唯一の国ではなくなっていた。1987年と1992年に、フィンランドとデンマークがそれぞれ患者保険法を制定した。1988年以降、ノルウエーには患者傷害の賠償に関する暫定規則があった。1992年に、客観的賠償責任に関する、暫定的でない永久的な規則が法案として提出されたが、まだ発効していない。このような具合で、スエーデンの患者保険制度の審査が始まったときには、諸外国の経験から得た知識も存在した。それで、賠償に値する治療関連傷害を、法律の文言に定義することが、もはや技術的に難しすぎて不可能とは考えられなかった。

政府任命の患者保険調査委員会は報告書(SOU 1994:75)で、賠償を受ける特別の権利は特別の法律で規定されるべきで、一般的な不法行為法とは別個にすべきであると提案している。

 

   


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