●8月1日 土曜日

 どうしたことかナイロビ上空は霧に覆われているそうで、飛行機はモンバサを回ってナイロビ空港に入ることになる。そのおかげで30分以上遅れて 9時30分頃につく。昨年同様空港の上を2時間ほど回らなければならないのかと思ったがそうでもない。曇り空。タラップを降りてまたタラップ様の階段を上がったところにMr. Ocheng George Ondullo が待っていてくれる。何でこんな所まで入れるの?と聞くとカスタムに友達がいるとのこと。結構結構。

 これで通関もスムースだわい、と思ったが敵もそうは甘くはない。島野さん等の子供たちへのお土産がひっかかりそうになる。事情を説明すると、価格はいくらぐらいかと聞く。そんなもの中古品だから全部で$20くらいだというと、なんで新しいものを持ってこないのかと食い下がってくる。私はそんなことは知らないが、ケニヤからのリクエストが中古なんだ、おそらく新品ならあなたたちに税金を払わねばならないからだろうとやけくそでいうと、あきらめる。そう、理屈をこねればいいのだ。そうときまれば一目散に出よう、この胡散臭いカスタムから。

 一歩税関を出るとそこにはケニヤの香りと、少し涼しい懐かしい風情が待っている。どうみても地方空港の一つといった質素なたたずまいで、ホテル・レンタカー=安全は保障されない・サファリツアーの案内所はあるが誰もまじめには働いていない。それでもジャンボ!と挨拶だけは元気である。銀行で換金しているが時間がかかりそうで取りやめる。昨年は$1=66シリングだったが、今年は空港では$1=59シリング、ナイロビサファリクラブでは56、ナクール 51、サンブル 53とシリングが高くなっていた。大統領選挙が終わってデモもなくなり、国情がいささか落ち着いたためかなとの印象である。

 実際、昨年と比べて街の活気は人の歩き方がより目的意識のある雰囲気に変わり、なんとなくたむろする、ぶらぶら歩き風、といったレベルを脱しつつあると感じる。それにしても昨年と比べて$1000で10000シリング、約25000円の損失と思えば、いやはやシリングもやるじゃないかと変に金持ちもどきの風情を自らに感じて反省。SOMAK 社のSAFARI CARに乗って一路UHURU HIGHWAY(独立記念高速道路)をナイロビに向かう。すぐに左手にナイロビ国立公園が現れる。

 この日は朝ということもあって動物は見えない。KARIBU KENYA(ケニヤへようこそ)の文字をくぐって直走り、車は独特のかなり固いショックアブソーバーで細かい振動をお尻に感じさせている。道路の左右には建築中の工場、オフィスがみられ、昨年のように全く放置されているものは少なくなっている。少しは経済もよくなりつつあるのかなと少しほっとする。日本の会社も自動車関係だけでなくエアーコンの会社も含めて確実に増えている。通りの周りにいる人たちは衣類、靴、持ち物いずれも同じでこれは26年前とも殆ど変わらない。ほんとに感心するくらい頑固に貧しく、衣食住はさびしい。すれ違うバス、乗り合い自動車は相変わらずどれも満員でいまにもエンコしそうな音を立てて必死に走っている。雑然と、騒然と、気持ちせわしなく移動し、生きているが、このエネルギーが集約されずに、ケニヤ山の彼方に蒸発しつづけているのが悲劇というよりは、壮大なコメディータッチの大自然国家物語だと自答する。

 ブルーの素敵な、瀟洒なSOMAK社の新しいビルが途中にあり最近移ったとのこと、儲かっとんのやね この会社は。なんでも二人のインド人の経営で、名前を足すとSOMAKになるそうな。もういい加減にサファリ事業くらいはケニヤの人が主導権をとってもいいのじゃないの、え? しっかりしてよ、みんな。
 エイシャンや欧米の人はケニヤでもうけたお金を全て国外に持ち出し、ケニヤ自体にインベストしないので何時までたっても国力がつかない。ケニヤンよ、がんばろう。ケニヤの人としゃべると英語がスムースに出る。彼らもローマ字読みの発音なので気が楽なのかも。

 そうこうするうちにナイロビの街に入ってきた。懐かしいRoundaboutという英国独特の交差点をいくつか過ぎる。とまる度に新聞・雑誌・時計その他もろもろの品物を売りに来る。ズーットやってんねやね、おんなじことを、売れてまっか?今日のビールをかせいでんの? 飯やないわね、その顔は。
 そんなことが目先をよぎっている間に車はケニヤッタ通にはいる。インターコンティネンタル ホテル を右に見て、UHURU 公園を過ぎ、ナイロビ大学の近くまで北寄りに来ると、右に17階建てのLILIAN TOWERが現れる。ここがナイロビサファリクラブである。左前方にポリスステーションがあり比較的安全そうであった。やっと着きましたよ、お疲れ様でした。なぜか本日の昼食は日本食だそうですから、さっとシャワーを使われてまた1時30分にフロントにお集まり下さい。てなわけでナイロビの第1日が始まる。

 部屋に入ってみると年季が入っている割に小奇麗で、なによりもミニバーがある。早速タスカビールでもと思って開けてみると、なんとハイネケンしかない。気の抜けたようなビールだけどレストランで飲めばいいかととりあえずパカツ、シュー、ゴクゴクーン、イエーイと相成る。
 シャワーは今年も硬水のせいで後がなんとなく温泉に入ったようでヌルついていたがそれでも生き返った気がする。BUSHのポケットだらけのアフリカ用ベストに貴重品を移し、さっぱりとしてひと足先にフロントに降り立つ。小生は5日まで滞在するためセキュリティーボックスにパスポート・トラベラーズチェック・余分な現金を預けた頃に皆さんが降りてくる。

 日本人倶楽部なんて看板と焼き鳥のちょうちんのかかったレストランに案内され、初日から日本食をいただく。きつねうどんだとか焼き魚定食なんてきのうまで食べていたのにもうですか?といいたくなるが、自分も焼き蕎麦なんて頼んでいるのだから言えたものではない。
 突然、日本人のかたに話し掛けられる。高林さんという日本大使館のかたで、西先生にご紹介頂いた書記官である。日本から手紙でこの日の夕食パーティに招待していたので確認したところお越し頂けるとのことである。実際はなぜか同僚の医務官のかたともども欠席され残念である。場所がわからなかった?いまもって原因不明。どうも公務員とも相性が悪いのかな?
 もう外国に出れば、ちまちまと他人のことを気にしないことにしており、とくにケニヤでは HAKUNA MATATA(ダイジョウブーモンダイナイ)で済ますことにしている。なんとなく日本風の昼食の後ナイロビ博物館に立ち寄る。どうしてかいままで来たことがない。人間発祥の地と考えられ、事実多くの原始人の骨が見つかっている。なかなかよくまとめてあり感心する。

 ヘビ公園は遠慮して部屋に戻ったところ、ナイロビ大学医学部部長からメッセージが届いている。さっそく電話をいれ、奥様、小児科のブイボ教授とともにパーティへの出席を確認する。6時ごろになって皆さんお集まり頂く。このクラブにはいいバーがあり、食前のひとときをそちらで始める。ケニヤの人たちはアルコール飲料はそれほど強くはない。また冷たく冷したビールは好まない。ビール・コーラ・ファンタなんでも常温である。アルコールの代謝が得意でないんでしょう、肝臓が。
 それでもDr. Pamba, Dr. Bwiboはかなりいけるくちと見受ける。クラブの3階にKirinyaga Restaurant なる、どこかで聞いたことのあるレストランがあり、そこでパーティを準備する。実はこのレストランの名前は後に訪れるニエリ市のアウトスパンホテルにある、KIRINYAGA TAVERNと同じである。
 ここは26年前に妻や友人と何回か訪れたことがあり、 なかなか素晴らしい料理を出す店であったのを思い出す。菊本さんも到着され、パーティを始めるがそれに先立ち、ナイロビ大学に対して医真会と長野の故田中由佳ちゃん、小生からの寄付を手渡す。今回は島野さんからマトマイニに対しても過分の寄付頂いている。

 多謝。パーティはリラックスした雰囲気で終始し、ツアーの皆さんもお疲れにもかかわらず、楽しんで頂けたと思う。料理はコースで出したが味は総合的に見て中くらいか。ミネストローネ風のスープは何か一味欠けている。なんのことはない、26年前、昨年と同じで改善の兆しがない。ということはこれでいいのだと満足しなければならないのだろう。もっとも後のアウトスパンホテルのスープはおいしかった。その気になれば出来るんですよ、ホント。パサパサの米(1700mtという高度だけが原因ではない)、ティラピア(真水の鯛と言った日本人が居る)のフライ、ローストチキン、牛肉のグラーシュ、サラダいずれもオーケーです、小生には。デザートは栄養制限のためいっさい摂らないので評価しようがない。甘いものが好きな辻君の顔を見る限り悪くはないのだろう。

 9時まえには終了し、皆さん明日のマトマイニ訪問もあり早早にお休み頂く。パンバ、ブイボ両先生には8月3日に検診班が到着すること、その日もまた同じような趣旨のパーティを行う旨を話し、御家族ともどもご参加頂くようにお願いする。部屋に戻ってやっと休める。バスタブに湯をためてのんびりとつかる。頭がスーット軽くなったようで全身これ弛緩の極みである。ペットボトルの水で歯を磨く生活が始まる。ウイスキーをダブルでナイトキャップにして就寝。室温快適。ベッドの固さ良好。おやすみ。

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