ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


 ある日、娘は医者になるために「もう一度大学を受け直してもいいか」と尋ねてきました。突然のことではありましたが、娘は長い間考えた上でのことでした。海に生きる動物、鯨やイル力の研究がしたい、との思いで選んだ京都大学でした。1年浪人してまで入った大学でした。でも父親ががんとなり、父親の病と向き合った生活を続けていくうち、父の姿や病院で患者の治療に立ち働く医師の姿に接していて、新しく芽生えた強い希望でした。
娘の心が動かされているのを感じていた私は、やり直してもいいということを以前から伝えてはいました。しかし、母親である私―人の収入で生活していくようになることを考えた娘は再受験を諦めていたようでした。でもどうしようもない父親の死に直面して改めてその願望が強くなったのでしょう。勿論私も経済的不安を感じなかった訳ではありません。それでもなんとかなると思い、再試験を喜んで認めました。しかしセンター拭験まで後4ケ月余りしかありません。とても一度の受験で合格するのは無理ではないかと思った私の心を見抜いたのか、
「何年かかってもやりたい。それでもいいか。」と念を押す娘です。もう応援するしかありませんでした。

 父親の初七日を済ませて京都に帰った娘は、大学に休学届けを提出し、再び受験生生活に戻ったのです。厳しい毎日だったでしょう。でも必死の努力が実ったのでしょうか、拭験の済んだ後、思ったように出来なかったため合格を諦め、不合格を覚悟で合格発表を見に行った娘から
「お母さん、あったよ。」と喜びの電話連絡を受けました。
発表を見に行く沈んだ顔の娘を朝姫路駅まで送って行き、娘の様子から不合格を覚悟していた私は、「無理に電話してこなくてもいいよ。」とまで言っていたのです。まさかこのような嬉しい知らせを受けるとは思っていませんでした。そして今娘は医師を目指し、父の死を乗り越えて一歩を踏み出してくれたのです。再受験を決意した娘に、
「お父さんがあなたに新しい道を開いてくれたのかも知れない。」と言ったことが本当になったのです。

 思い返せば、元気だった夫ががんと知ってから5ケ月余りの闘病生活でした。平凡に流されていた家庭生活が急に激流の中に放り出されたような毎日でした。夫はもとより、子供二人と私も必死でした。その時その時を大切に過ごしました。そして4人が一体となって夫の病と闘いました。最愛の人との死別という悲しい結果となってしまいましたが、私にとって21年間の結婚生活の中でも、最も信頼し合い、最も輝いていた時であったように思えて仕方ありません。

 進学校と言われる私立男子校で、比較的恵まれた高校生活をのんびりと送っていた息子にとっても、衝撃的な出来事でした。高校2年生と言えば、いろいろ大学受験を身近に感じ出した頃です。余命6ケ月を告げられた日のことです。やはり父親を失うかもしれいということが彼に大きな衝撃を与えたのでしょうか、タ食の後片づけを済ませた前に座り、
「お母さん、僕大学に行かなくてもいい。高校を卒業したら、働きに行くよ。」と言ったのです。彼にとって、父親という経済的にも精神的にも家庭の中にいた人がいなくなるかもしれないということが、どれほど大変なことかということを戸惑いながらも受け止めていたのでしょう。私は、「もし、あなたが大学に行きたくないから、よす、と言うならそれも仕方ないと思う、だけど、お父さんがこうなったことで進学を諦めるというなら、お母さんは反対します。お父さんがもしそのことを知ったとしたらきっと悲しむと思う。贅沢はさせられないけど、仮にお母さん一人になったとしても、あなたに大学を卒業させる事は出来ます。」と言いました。
むろん息子としても母親はそう言ってくれることを無意識のうちにも自覚していたのでしょう。もしかすると不安の中にあって、そのことを確かめたかったのかもしれません。

 夫が父親を失ったのは18才の年でした。その時のことを『父親は優しい人だったが、反面厳しいところがあって、僕など少し恐かった。だから、あまり面と向かって向かって話などしなかった。それが今となっては、親父に申し訳なかったという気持ちと、もっと親父と話しておきたかったという残念さばかり残っている。20才になって酒が飲めるようになった時、親父と飲みたいな一と思った。』とよく言っていました。  息子も丁度夫が父を亡くしたのと同じような年頃となっています。彼もまた、父親が思ったと同じようなことを思い返すのではないのでしょうか。
 喜びも、悲しみも包み込むようにして時は流れます。昨日と同じ今日なのに、どうしてあの人はいないの?などと、もんもんとした日を送ったりしたこともありました。台所に立って、朝食の準備をしている時も、職場にいる時も、そして帰宅して夕食の支度をしている時も、いつもいつも夫を生きている夫を側に感じるのです。仏壇に手を合わせ、夫の写真をじっと見つめる時も、まるでそこには私に向かって語りかけてくれる夫がいるかのような気持ちになるのです。夫との死別は私にとって思いもよらない出来事でした。

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