ひとりで死んでいったBさん(75歳 男性) 1年前の9月に診断を受けて幽門狭窄、胆管癌の合併で食べられず、在宅希望で当院に紹介されました。独居で、近くに娘さんがいますが、自立心が旺盛で毎日のように畑に行っていました。固形物はその時点で殆ど食べられなくて、痛みも無く、畑仕事をして自立していました。9月に2回訪問診療をしましたが、「動けるし、また困ったら連絡する。」ということで訪問診療を中断となり忘れていたのです。今年の2月7日の朝に娘さんから「父が息をしていない。」と連絡があり、医師が飛んで行きました。確かに亡くなっており、結果的にずっと診察をしていないので、死亡確認(検死)というかたちになりました。直前までの様子を伺うと、9月時より体力的には落ちていましたが気持ちは全然変わらず、食べ物に関しては娘さんがされていたようですが、一人で過ごしていることに何の不満も無く、おそらく望まれていたような形の死だったのだと理解されます。本当に自分のことをしっかりと把握して、これまでの暮らしの延長として死をある日迎えるというのもあるのだと思いました。
小規模多機能ホスピス これまで合計300人近い方を自宅で看取ってきましたが、介護環境の厳しさを増していく中で我々が目指している在宅ホスピスは、いわゆる自宅ホスピスでなくてもいいのではないかということです。「自宅でなくても在宅ホスピス」いうことで、小規模多機能ホスピスと名前を勝手につけましたが少し紹介します。 在宅ホスピスケアの反省で、「恵まれた人だけを相手にしていたのではないか?」つまり自分の事をよく知って、自分の事を自己決定できる。これはもちろん大事なことですが、中々そういう人ばかりではありません。在宅介護の困難な人、癌以外の人、それから自己決定が困難な人ということを考え、これまでの在宅ホスピスケアの定義を改めようと思っております。これまでは自分の深刻な病状を理解したうえで、自宅で過ごすことを本人や家族とも望む進行癌患者さんのケアは、在宅ホスピスケアです。しかし、どんな疾患であっても積極的治療を望まず、望んでいても機会を得られなくていつの間にかこうなったという人が結構います。そのような中で、死期が近づいた患者さんの『からだと心と暮らしを支えるケア』と定義し直したいと感じています。癌で亡くなる方は3分の1です。残りの3分の2に対しても癌患者さんのケアで培った色々なノウハウを投入したいと思っています。 もうひとつは、日々変化する患者さんをケアするには訪問だけでは不十分だということです。訪問ケアから多機能ケアへ在宅ホスピスに考え方を広げ、2,3時間、半日診てそれでよかったら自宅へ帰るというようなデイケアもあるべきです。それと、患者さんだけではなく家族も翻弄されてパニックになりそうになった時に、看護師が一晩泊まったり、あるいは半日滞在というようなケアが必要な時期もあります。それから場所自体を変えようということで、4年前に造ったのが「和が家」です。 多機能ホスピスケアが可能にしたことは、『癌以外の方』の看取りが出来、独居者を含む介護困難者の看取りが出来ることです。在宅ホスピスというのは、これまで家族介護者を前提にしていました。家族介護があてにならない状況で、どうやって最期まで看取るかというのが目標です。それから病状や療養環境の変化に応じた継続ケアが小規模多機能で、なじみの関係の中で看取りが出来ます。こういうことをやるには非常に志と体力のある医療スタッフ、特に看護スタッフが必要です。私は、ひとり小規模多機能と呼んでいるナースが何人かいます。「訪問もします。」「ケアもします。」「必要であればご飯だって作ります。」いざとなれば「泊まります。」という、自分で何でもしてしまう、ひとり小規模多機能ナースが活躍しています。
小規模多機能ホスピスケア「和が家」 建築面積50坪、総3階建ての養蚕農家の古民家です。1階に暮らして、2階が蚕の部屋で、3階が蚕産業の器具を入れる場所で、そういう造りの建物が群馬県には残っています。そういう建物を患者さんの縁で「使ってくれますか?」といわれ、一目で気に入って借りました。築100年、自然の風が抜け、そこにあった物はそのまま使わせてもらっています。1階は個室5室、6人のお年寄りたちが暮らしています。このお年寄りたちは要介護4前後の認知症で、平均年齢91歳です。2階に個室が5室あり、ここはミニホスピスとして使っています。 これまでは、癌の患者さんを十数人看取ってきました。皆さん、とても熱心な介護者がいました。でも、どんな介護者でもある日、ギブアップという時期がきます。そのために、こういう場所があるのです。ここには医者も看護師も常駐しておらず、看護師の資格を持った管理者はいますが、通常は介護の方がいるだけです。『和が家』の特徴は、医療が中心でなく生活が中心で、癌だけではなく、色々な境遇や病気の方が暮らしています。場自体が癒しの力を持っていて、施設ではなくて家ということです。 私の出発点と自分が相手にする利用者さんや患者さんの姿もずいぶん変わってきました。最初は痛みや患者の権利から入っていきましたが、今では、なじみの暮らしに寄り添うことが出来るようになりました。私は麻酔科医として最先端の所で、「救急です!」と呼ばれると「よっしゃ〜!」と救急セットを持って飛んでいくのが好きでした。けれど今は、180度転換してしまいました。自分でもよくわからないままに10度ずつ18回ぐらい転換してきたのだろうと思います。 今、時代が「在宅、在宅」という流れの中で、どうやって目を配ってやっていけるのか。非常に楽しみではありますが、悩みながら、また皆さんとも交流を深めながら今後も続けていきたいと思っています。 本日はご清聴ありがとうございました。 (講演内容は編集の都合上一部省略させて頂きました)
【質問】 大変難しい問題ですが、非常にリアルな問題です。終末期がはっきりしているのは癌だけです。あと、終末期かどうかはっきりしなくてだんだんと衰弱していく認知症や、特に病気はないけれど老衰で寝たきりになっていくお年寄り、それから脳血管障害の後遺症の人は、在宅での看取りは可能だと思います。 問題は、癌でもない認知症でもない、心臓や肺や肝臓などに疾病があり、その中でアップダウンを繰り返す方だと思います。これは在宅では難しく、本来できるべき治療が出来ないのに死に至ってしまったというのは、医療の手を十分つくしていないということで非難が十分にあり得ます。 まず、患者さん自身の意思、それから続いてはそれを推測させる家族の見解、それからその両方がなければ医療者がこの患者さんにとってのべストであるという判断は出来ないと思います。
医療法人一歩 http://med.wind.ne.jp/ippo/ ペインクリニック小笠原医院 院長 小笠原 一夫(おがさわら かずお)
<略歴> 1976年 群馬大学卒業 1982年 長野県北信総合病院麻酔科医長 在籍4年間にがん患者124人の疼痛治療を手がける。 その中で、「ホスピス」に触れ、「ホスピスに興味を持つ麻酔科医」から 「麻酔の技術を持ったホスピス医」を目指すこととなる 1987年 群馬ホスピスケア研究会を旗揚げし、初代代表となる 1991年 高崎市にペインクリニックを開業し、在宅ホスピスケアに本格的に 取り組み始める。15年間で在宅ケアしたがん患者は300人を超える。 <現在> 医療法人一歩会 ペインクリニック小笠原医院 院長 群馬県がん患者と家族を支える会 代表 NPO法人「在宅福祉たらっぺ会」理事長
<著書> 「家に帰りたい、家で死にたい」 講談社 <共著> 「在宅医療・介護基本手技マニュアル」 永井書店 「医療情報開示入門」 金原出版 「はじめよう在宅医療21」 医学書院 「生と死の意味を求めて」 一橋出版 など