ケニヤ・タンザニヤ紀行


●2002 7・24 晴れ

 32時間近くかかってナイロビに到着した。例によって小生のバッグが出てこない。ドバイに忘れられていたとのこと、それにしてもこういう事態がよく起こるのはどうしたことか。バッグに関しては不運が続く。

ナイロビ空港は相変わらず雑然としている。カスタムでは女性の税関職員がサッカーボールと靴の箱を開けさせる。さらでもチャージはない。 Stevenが待っていてくれて、我々が送った車とTEKKOのハイエースでIntercontinental Hotelに向かう。道路沿いの風情も相変わらずみすぼらしくなりつつある。

排気ガスはますますひどく、人ばかりが増えている。道行く人の表情は活気に乏しく、12月の大統領選挙を前にしていささか世相が不安定になっているようである。Steven が1ヶ月ほど前に強盗に会い、右眼横を銃でたたかれいまだに鼻出血するそうである。眼科に行ったが費用が高いのでやめたそうで、それはいけないといっておいたがどうだろうか。いずれにしても夜出歩くのは危険すぎる。着替えがないのでイタリアの洋服店でズボンとシャツを買う。

夕食はホテルのレストランでWelcome Dinnerをとる。菊本さん、Mr. Michael Angaga(マイケル) と彼の秘書、さらにChris Wesonga(クリス)が参加した。マイケルはGeorge Ochengの友人であり、仕事はMSWでNGO関連の仕事をしているとのこと。話してみるとなかなかシャープで組織の運営にも長けているようである。組んで仕事をしてみることはOKである。組織運営方法ではまったく一致しているので、宮田君ともうまくいくと思われる。

マイケルとの話の骨子:まずは小さなスケールではじめて、拡大していく方針である。何処かのスラムに焦点を当てて10−15人の子供たちを選んで、ホームページでの「里親方式」で保護者を募るのと、教育、食事名確保を図る。一定の場所に集めて日中を過ごさせ、ストリートチルドレンから脱出させる。健康診断はHIVも含めて一定の検索をし、データベースとして登録保管し、治療の必要性などを評価する。日本でのキャンペーン用に資料を取り揃える。年に3−4回のツアーを企画し、NPOとの協力で日本全体から募集する。

それにしてもタスカビールは相変わらずおいしい。この国で飲むからうまいのだろうが。
今年はPamba先生やBwibo先生がいないけれど、招待はしたのだが他出とのこと、新しいクルーでやり直す気持ちがみんなにあり楽しい会になった。ホテルの部屋は値切ったためか前より悪く電話も海外も含めて外線がかからない。ドアーマン、ボーイ、事務員など相変わらずの顔が並んでいる。小生のことはよく覚えていて、Jambo, Dakitariと愛想がいい。ドバイで買ったRemy Martinを寝酒にして眠る。睡眠4時間。


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