学童保育
 

● 学童っ子そして補助指導員 ●
そして次は親として学童保育を見つめたい


淀川区 大空学童OB

遊び  私が学童に通ったのは、一年生ー四年生まででしたが、その四年間の学童の思い出は、今でも私の頭と心の中にとても鮮明に、はっきりと残っています。そのほとんどが学童で学んだ遊ぴ、高学年や低学年との付き合い、指導員の先生達のことなどです。その中でもやはり子供だった私にとって、一番よく覚えているの は、毎日「ひまやなあー。」とか「することがないー。」なんて言葉も忘れていたのかというぐらい、毎日、毎日つきることなく遊んでいたということです。

その遊ぴは季節によって違うけれど、ゴムとび、ひまわり、レモン、とのじん、竹馬…今、思い出しただけでも三○種類以上の遊びを思い出します。ほとんどは運動するのが得意な方でしたが、中でも百人一首は一○○枚を覚え、小学校、中学校で百人一首大会でみごと優勝したのが私の自慢です。あの時はほんとうに(ああ学童に行っててよかったあ〜)と思いました。今思うと、ただ毎日遊んでいたわけじゃなく、いろいろなことを学んでいたんです.昔は遊ぴでしていても、それが基礎になり、今役立っていることもたくさんあるし、それが私の自信になつています。指導員だつた先生たちのことも、よく遊んでくれて、いろんなこと を教えてくれた人のことを思い出します。

 学童でいっしよに過ごした友達だけは沖縄や愛知などほとんどバラバラになってしまったけど、縁が切れることなく、今でもその仲は続いています。ただ私の場合、普通の学童の子と違ったのは私の母がその学童保育で指導員をしていたということです。そりゃあ毎日、学校から帰ると学童に母がいてうれしかったし、いろいろな不安も心細い気持ちもありませんでした。あるとすれば学童で母のことを先生と呼ばなければならないことや、帰りによく母が学童の子の親と長話をするので、それを待っていなけれぱならないことぐらいでした。

 今現在、私は20歳になり同じ学童で私は補助指導員で母といっしよに働いています。あの頃の学童っ子だった私とは違う、こんどは子供を見る側の私になって、今の自分の目で学童の子供達を見ています。(昔はこんなことしなかった。)とか(私の時みたいにこういうことできたらいいのに。)とか昔のことと、いろいろ考えがダプります。
私が今、子供にいろんなことを教えていく立場になったからじゃなく、私は本当に学童で四年間だけだったけど過ごせてよかったと思っています。今学童で生活している子供達も、学童に行ってよかったと思うような、学童での勉強をたくさんしてほしいのです。私は学童っ子として、今は学童の補助指導員として、そ してこれはまだ先のことだけど、私に子供ができて今度は学童に自分の子供をあずける側の親として学童を見つめていけたらと思つています。

indexnext back
[ HOME ]

(C) Copyright by Reference,inc. 1997-2005(無断転載禁止)