学童保育
 

● 大切にしているものがいっぱいそれを気づかせてくれたのが学童保育 ●


大正区 第4なかよし学童OB

子ども  私がお母さんになったらきっと、子どもを学童に入れる。
小学校の6年間で大きな成長をしてもらう。私もそうだったように。
どうして学童でなければいけないのか、私は今の私の9割近くは学童が作ったものだと思っている。「今の私が学童だ。」本当の私はこうなんだと学童がおしえてくれた。
 私は大正なかよし学童の卒所生、私の自慢、卒所して思ったんだけど卒所してはじめて学童っ子になったんだという気がしてきた、私は成長しました。
 「成長」という言葉の意味がわかるか?私にはわかる。学童の6年間がかたってくれる。私はこれからもずっと学童にこだわっていきたい。何もないような1日でも、この時は二度ともどってこないのでどんな小さなことでも見落とさないで大事にして下さい。このつみかさねが大切なんだから。これが「成長」でしょ?私は学童が好き。大好き。学童に通って本当によかった。学童に通っていたころが私の一番だったような気がする。

 学童に行ってない子と行ってる子とはやっぱりどこか大きな違いがあると思います。私が学童でみつけたもの、いっぱいあります。毎日が発見でした。
 私が小学校四年生だった時のことです。その日は、雨が降っていて狭い学童にみんな別のことをして遊んだりしていました。私は、たって童話の絵本を読んでいました。ただすけは、男たちとプロレスみたいな遊ぴをしていました。その中に1年のたけしがいました。そのころたけしもわたしとおなじでみんなより内気で男の子たちはだんだんたけしを集中的にねらうようになっていました。私は「またいつものが始まった」といった感じで男の子たちを無視していました。それから少しずつエスカレートして行くのが私にも周りにいた子たちにも分かりました。

 しかし当時は先生以外だれもただすけにさからえなかったので、まわりにいた子も無視していました。私は、たけしとにている所があったのでたけしのことが気にかかりたけしの方を見ました。そのときのたけしの顔を見ると私はたけしを見れなくなりました。わたしは絵本で顔をかくし、たけしの顔を見なかったふりをしました。そのとき、とうとうたけしが泣き出しました。私は、絵本の文字が読めなくなりました。心の奥の方からドクンドクンと込み上げてくるものがありました。悲しさと悔しさが一緒に交ざりあって苦しい気持ちになりました。男の子たちは、またたけしを泣かしてもやめないで続けています。私は、「やめたりいや!」とただすけに向かっていいました。みんないっせいに私の方を見ました。

 私の心のドクンドクンはさらに大きくなっていきました。「たけしがかわいそうやろ。泣いてるやんん!」。ただすけがびっくりした顔をしていました。そして「女は、だまっとけ」といわれました。私はその言葉でグッときてしまい、泣いてしまいました。後には引けないというのがあったので泣きながら言葉は、記憶にないが抵抗しました。それから何もいえなくなって下にぺたんとしゃがんで泣いてしまいました。先生が私の頭をなでてくれました。それからしばらくただすけたちは、あまりたけしをねらったりしなくなったように私には思えました。

 私は人のために泣いたのも悔しくて泣いたのもこれが初めてでした。この時のことを覚えている人は少ないと思うけど私にとってすごく大きい思い出になりました。これがきっかけで私は少しずつ変わって行きました。今でも思い出すと、この時と同じ気持になれます。思えばあのことが私にとって一番だったんじゃな いかなと思います。私が卒所してから幾年かたちました。あの時泣いたり笑ったりみんなで感じたことはきっとおばあちゃんになっても、その時と気持が変わりません。学童の中で感じた事は、これからも私の中で生き続けるのです。

 私には大切にしているものがある。いっぱいある。それを気付かせてくれたのが学童のような気がする。ちょっとくさかったけど、本当のことだからしょうがない。学童をわかってほしい。だけど学童は6年間の積み重ねから卒所しなわからん。学童6年間通って後悔したやつなんか絶対におらん。私は言い切れる。

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