ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


  やがて、夫の言葉はなくなりました。目覚めているのか、しきりに口を動かし何か語りかけようとしていました。私は夫の口元に耳を当てましたが、言葉にはなっていませんでした。聞き取ってもらえない夫のもどかしさを思い、鉛筆を取って夫の手にし、紙をあてがいましたが、それは力無く、弱々しい数本の線が紙の上を流れるのみでした。
悲しい心をそっと押さえそっと夫に話しました。
「お父さん、分かってますよ。何も言わなくていいよ。心配しないで。」
そう語りかけるしかなかったのです。そして、
「ごめんなさいね。あなたの言っていること聞き取れなくて、きっとくやしいよね一。勘弁してね。」と付け加えずにおれませんでした。

 この様な状態になってからも、夫の病状を聞き付けた方々が最後に一目会いたいと次々に訪れて下さるのです。既に面会謝絶の札は掛けられていたのですが、どうしても会いたいとの思いで、遠方から来て下さる方のお心を思うとき私は苦しみました。あれほどにまで見舞いの方が来て下さることを喜んでいた夫も、病んだ姿を見せたくないかもしれないと思ったからです。
でもすでに卒業してから何年もたち立派に成人しておられる方々が夫を元気づけたいとわざわざ大阪からまで駆けつけてくださるのです。私は、『夫に会ってもらっても辛い思いをなさるだけかも知れませせんが。』とお断りして部屋に通ってもらいました。
「先生、私です。分かりますか。元気出して下さい。」
と、それぞれ夫の手を取るようにして語りかけて下さるかっての教え子たち。夫の口元ははっきりと動いていました。ああ、お通しして良かった。夫には分かるのだ。とは思いながらも、辛い思いを繰り返ました。娘も何も言わず、辛さと苦しみを耐えてくれました。しかし夫があまりにも苦しそうな様子の時に訪ねて下さった幾人かの方には、面会をお断りしました。せっかく遠方から来て下さったのです。申し訳なさいっぱいでお帰りになる後ろ姿に心からのお詫びをしました。

 あれは夫が亡くなる前日のことです。朝、娘と交代し、急いで家に帰ってシャワ一をし、乾きあがった洗濯物を抱え病室に戻ってみると、夫は体を拭いてもらい新調の寝間着に着替えさせてもらっていました。娘はそっと小声で私にささやきました。
「お母さん、お父さんは今日なのかもしれへんよ。」

 新調の寝間着に、娘はそう感じたのです。夏休みに入ってからというもの、娘は朝から晩までずっと夫の側にいてくれました。そして長い夏休みも終わり、翌11日から試験が始まるのです。娘は最初から試験は欠席する覚悟でした。
私はそっと看護婦詰め所に行き、夫の死はもう迫っているのかを尋ねました。医師が別室に案内して下さり、非常に危険な状況に入っているが、今日、明日というわけではないと言われました。そして娘が試験を欠席することを告げると、今日大丈夫だったから、明日もこの調子でいくと思う。大丈夫だから試験は是非受ける様に、とはっきり言われるのです。欠席を覚悟していた娘も、「大丈夫です。試験は受けてきなさい。」と言われる医師の言葉に促されて考え直し、翌朝、そう夫が亡くなる日の朝、新幹線で京都へと向かったのです。

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