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第19号   NEWSLETTER   大阪地域医療ケア研究会   2008年6月10日発行


【第6回研究大会  2008年3月9日(日)】
「暮らしの中で生き、暮らしの中で死ぬ−家族・介護・看護を考える−」
実践報告・問題提起からのご報告


実践報告(1)
 「在宅ターミナルの看取りについて」
 ハートフリーやすらぎ 
 訪問看護ステーション 大橋 奈美 氏

症例1 79歳 介護1  Sさん
糖尿病でインシュリンの治療


 総合病院に退院した後に、その病院付属の訪問看護ステーションから週1回訪問看護に行っていました。その内容はインシュリンの治療管理と食事指導でした。ヘルパーステーションからは週2回家事援助で入っていました。
 ヘルパーステーションのケアマネジャーから「訪問看護ステーションを変更したい。」と電話が入りました。Sさんはあんぱんが大好きなのに、看護師に「食べたらあかん!」と怒られたと言います。Sさんは「自分の体やのになんでえらそうに看護師に言われなあかんのや。訪問看護ことわってくれ!」と言われたため、私の訪問看護ステーションへ依頼が入りました。
 私は訪問した最初に「食べたらあかんもんは、何も無いよ」と言いました。「なんでやねん!○○訪問看護ステーションの看護師はあかん!あかん!言うてたんや!何であんたはええねん!」と言うので「その代わり、食べた分だけ運動しましょう」と言いました。

 週1回の訪問看護の内容です。
バイタルサイン、血糖測定、内服薬確認、約10分くらいです。後の50分何をしていたかというと、ビデオを一緒に観て解説を受けていました。こんな看護が必要なのかということもありますが、Sさんは全く近所づきあいをしていませんし、信用するの
は自分だけという方でした。
 毎日12時半になると必ずステーションの事務所に「おるか!」と言って来ます。「おらん!って言いたいわ」と言うナースの一言で始まります。それから、長々と自慢話です。「ちくまの蕎麦行って、ちんちん電車乗ってな、赤バスや!」毎回同じ話しをします。結局、私たちも1回ちくまの蕎麦をごちそうしてもらおうということで、ナース達と食べに行きました。蕎麦屋でご満悦の顔をしていました。
 一度こういう楽しい事を経験すると、患者さんは希望が出てきます。「次はちくまの蕎麦食べた後、水上バスと難波宮跡に連れて行きたい」ということで、半年後行きました。この時のネクタイは看護師達がちくまの蕎麦のお礼にとSさんに買ったネクタイをして、わざと見せるようにして「写してくれ」とポーズしていました。

  翌日、特別扱いについてどうなんだという議論が訪問看護ステーションであがりました。
「私たちだってプライベートがある」「プライベートにこのおじいと一緒に・・・」「満足度のハードルは一度高くしたら、次から次へと高くなるのではないか」「訪問患者数が80人を超えているのに、こんなこと続けていくのはしんどい」という意見や「私はついて行ってもかまいません。楽しかったから良いです」と、スタッフ5人もいたら意見も様々です。
私は次も連れて行こうと思いました。特別もいいかなと思います。行きたい人だけ行ったらいいのではという話をしました。
 この方の持病で膝関節の変形症があり、入院は嫌だといっていたのですが、人口膝関節の手術をするためにある病院に入院しました。するとナースコールが頻回だったそうです。勝手にベッド柵を外して転落したり、失禁するのでバルーンカテーテルを挿入されました。「訪問看護師を呼んでくれ」と入院中
 何度もナースコールを鳴らすこともあり、「半分は抜糸したけど、残りは退院後に抜糸に来てください」という急ピッチな退院でした。

 翌日マンションの自治会長に呼ばれ、「おたくがケアマネジャーさんですか?」と聞かれ、「はいそうです」と答えました。「入院させたらどうですか?老人ホームに入れたらどうですか?こんな一人暮らしの人に何かあったら誰が責任とるんですか?」と言われました。私は「人間が当たり前に生きて、当たり前に亡くなっていくことに誰が責任を取らされることがあるのでしょうか?」と話しました。
「もし責任を取るというのであれば、具体的にどんな責任ですか?」と聞くと、「たとえば火事とか・・・」「歩行して台所まで行けないので、火事にはなりません。ガスの元栓はヘルパーしか使いませんので、もし火事になったら看護師か、ヘルパーの責任です。」と話をして何とか家で暮らそうとSさんの妹さんと迷惑かけた下の階と隣の方にお茶菓子を持って謝りに行きました。

 本人は「やっぱり家はいいな!」と最高の笑顔でした。何かあったらすぐ訪問看護師が呼ばれるという中で、近くに個性を大切にしてくれるとても良いデイサービスがありましたので、Sさんもきっと気に入ってくれるだろうなと思い、嫌がっていたSさんを抱きかかえて連れて行ったのを覚えています。でも帰ってきたSさんに「どうだった?」と聞いたら「みんながSさん!Sさん!言ってくれて人気ものや。高倉健や言われて!」と笑顔でした。本当にほっとしました。今まで何かあると訪問看護師だったのが、もうひとつ新たに人間関係の構築をしてもらい、訪問看護師にどっしりかかっていた肩の荷が半分ぐらいになりました。

 Sさんの腫瘍マーカーが徐々に上がり、すい臓がんか大腸がんだろうかということで主治医と話をして、インフォームドコンセントは看護師がしました。妹さんに「がんかもしれないから、検査するとしたら入院してもらって精密検査をしてもらわないといけないんだけど、お兄さんは『入院するのは嫌だ、家がいい』と言ってるんですけど・・・。この環境が良いというのであれば、このまま家にいますか?」というようなことを言いました。「兄はどうしたいのでしょう?」「お兄さんは家にいたいと言っています。」「もし訪問看護師さんたちさえ良ければ、兄を看てもらえませんか?」ということで、在宅で末期のSさんを看ることにしました。

 Sさんはやんちゃでしたけど、1日寝て1日起きるというような生活になり、いよいよ最期になってきたと思い、毎週日曜日に来ていた妹さんに「もうそろそろかもしれないよ」と話しました。いろんな私たちとの思い出の写真をいっぱい壁に貼って寝ておられ、息を引き取られました。死後の処置をしているときに、亡くなったときの服をどうしようかと妹さんと話をしたら「兄ちゃんと一緒に『ちくまの蕎麦』に行ってくれた時にもらったネクタイと、スーツを最期着せたい」と言われ、妹さんと服を着せました。亡くなって初七日に会いに行きました。やっぱり会いたくなりますね。私たちと行った『ちくまの蕎麦』の写真が遺影になっていました。

  “一人”というのは特別ではない。みんなに特別をしなさいということ。ワガママ、こだわり、個性、取り方は人それぞれ違うのだということです。ナースもそうです。利用者もそうです。ヘルパーさんもそうです。デイサービスもそうです。「出会いは、別れの始まりである」ということ。そして『死』は特別ではなく、『生・老・病・死』みんな経験するものだということです。本人の意思を尊重することが大切で、そしてターミナルは特別なことではなくて、日常ケアの延長にあるということを学ばせて頂きました。


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