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第19号   NEWSLETTER   大阪地域医療ケア研究会   2008年6月10日発行


【第6回研究大会  2008年3月9日(日)】
「暮らしの中で生き、暮らしの中で死ぬ−家族・介護・看護を考える−」
実践報告・問題提起からのご報告


問題提起(1)
「ますます高まる施設の看取りと在宅支援機能の役割」
 大阪地域医療ケア研究会 副会長
 全国老人保健施設協会 会長 川合 秀治 氏

中間施設に関する懇談会中間報告

 今ご紹介いただいたように全国老人保健施設協会の会長を勤めています。平成元年前後から高齢者の方々とお付き合いを始めて平成4年に老健をつくり去年4月から会長をしています。老健からのメッセージが弱まってきていると思います。昭和63年に制度化されたあの前夜の制度施計者や事業参入者の思いはどうなのか、国全体としての思いということです。

 中間施設に関する懇談会の中間報告、この報告書はその当時昭和60年に書かれた文章です。それまでの縦割り行政では障がいをもたれた高齢者、今でいう要介護高齢者の方々に適切なサービスが提供できていないのではないか、だから縦割りでない組織を作ってはどうかと書かれたのがこの中間報告です。
 中間報告の中に「人口構造の高齢化に伴い、今後大幅な要介護老人の増加が見込まれており、そのニードも多様化してきている」とあります。それまでは医療福祉の分野では、例えて戦前家庭内で苦労しておられました。重症心身障がい児の方、認知症の方もそうですが支援・救済する制度がありませんでした。戦後、それまで篤志家ががんばっておられたことを制度としてみましょうと、例えて福祉の世界では重症心身障がい児をプロが集団でみましょう、障がいをもたれた若年者・高齢者障がいを持たれた方々をプロがみましょうということでコロニーが作られました。

 ところで、このコロニーというのは、東京でいうと東京都千代田区にはありません。大阪でいうと大阪市中央区馬場町にはありません。大阪府富田林市オレンジ山にあります。何かというと隔離です。戦前から比べると、その当時としてはすごい制度改正でしたが今考えると差別・隔離でした。その後だんだんノーマライゼーションという言葉が出てきました。物理的な対応としてはバリアフリーで、障がいの方が車いすで移動されるときに段差があると困るのでこの角を削りましょう、視覚障がいの方にでこぼこしたほうがわかりやすいのでは、そして弱視の方には黄色がわかりやすいので黄色のタイルを張りましょうというのがバリアフリーの思想です。これらはわが国からではなく北欧から出てきた思想です。いいものを取り入れてくるわれわれの民族性で特筆すべきことだと思います。  

 その中で「ノーマライゼーションではないでしょう。そのように特別にするのではなく地域で一緒に住みませんか。」と『共生』という概念が出てきました。その物理的なものとしてユニバーサルデザインがあります。ニードが多様化してきているという考えを初めて出した言葉だと思います。
 多様化するニードについて具体的にどうするのかということでできたのが老人保健施設です。中間施設といわれたのは、箱ものと在宅の中間、医療と福祉の中間いろんな意味での中間です。それを担ってきたわれわれは「中間」という言葉に対して医療のプロとして若干の引け目を感じていました。最近では中間施設だから両方がわかるという主張を始めています。

「多様性」「多機能」

 「多様性・多機能」がわれわれ老人保健施設のキーワードだと思います。老人保健施設は戦後日本の社会保障制度の実験場だったと思っています。ことに介護保険制度ができるころには第二特養論とか、老健の立場はどうなのかといわれていましたが、利用者が選択できるサービスを提供できるのが老人保健施設の大きな強みだと思います。われわれの仲間は3300施設以上になりました。それぞれの施設の考え方には差があると思いますが、選択の可能なサービスの一つに今日のお話の大きなテーマになっている「看取り」とがあります。転換型老健・介護療養型老健の加算要件にターミナル加算という言葉がついてきます。非常に誤解をうむもので、今までターミナルという言葉は医療の世界で使われていました。その世界でいわゆるターミナルの時期はいつかという、神学論争に近い不毛な議論がずっとされてきました。そうではなくて今回の転換型老健にいろいろ不満はありますが、全老健会長としての肩書きを仮に捨てて個人的な意見としてお聞きいただきたいと思います。これは老健でみるならば看取りだと思います。看取りとターミナルケアは根本的に違います。


選択可能な看取りサービスとは


 パリアティブケアは、シシリー・ソンダースという人が1960年代にロンドンのセントクリストファー病院というところで始めました。その前のホスピス運動というのは1890年頃にダブリンの聖母ホスピスというところから出発していますが、それもまたロンドンに移ってきて今日のホスピスという形になっています。
 シシリー・ソンダースにしても一度はどこか専門店や本屋で見られたことがあると思いますが、またキューブラー・ロスの『On Death & Dying(死ぬ瞬間)』という本があります。われわれ医療従事者にとってはバイブルのような本です。シシリー・ソンダースであれキューブラー・ロスであれ、あるいは日本の死生学大家である上智大学アルフォンス・デーケン教授にしても、緩和ケアというのはガン末期だけではなく障がいをもたれているあるいは老衰に近いかたちであっても末期というのは、家族だけではなく地域で看ていきましょうという主張だと思います。キューブラー・ロスはまさしくそういうことを言っています。

 今から20年前に私と同じ消化器外科医出身で千葉大学の山崎章郎さんという方が『病院で死ぬ』という本を書かれてベストセラーになりました。この本にも書かれていますが、消化器外科医でガン末期の方とお付き合いしている中で真剣に悩み、現場放棄のようなかたちで、南極調査船(捕鯨の関係)に乗ったときに暇だろうと持っていった本が20冊ぐらいあったそうです。その中にキューブラー・ロスの『On Death & Dying(死ぬ瞬間)』がありました。彼は「俺が悩んでいたのはこれなんだ。」とその本を読んで気づいたそうです。1例をいうと序章の「死の恐怖について」というところで、このように書いています。長い文章のピックアップですから誤解を与えてしまうかもしれませんがゆっくり読みます。

 『死はますます孤独で非個人的なものになりつつあります。患者は病気が重くなるとしばしば意見を言う権利がない人間のように扱われる。病人には感情があり願望や意見がある。これはもっとも大事なことだが話しを聞いてもらう権利がある。救命救急処置のケアに入ると彼はもはや一人の人間ではない。あらゆることが彼の意見を聞かずに決まっていく。反抗しようとすれば鎮静剤を打たれ・・・とばして・・誰か一人でいいから1分間だけでもそばに来てくれたら。ところが10人以上の人がベッドの回りにいながら、全員の関心は彼の心拍数・脈拍・心電図あるいは肺機能・分泌物・排泄物だけに向けられ人間としての彼には誰も目を向けようとしない、それに意義を唱えようとしてもすぐに黙らせられるだろう。』
 キューブラー・ロスは急性期もやっていましたから、急性期の医療を否定しているのではありません。急性期のER的なところをピックアップして書いていますが、実はわれわれ医療従事者側の気持ちを代弁した言葉があります。
 『機械や血圧に関心を集中するのは差し迫った死を認めまいとする私たちの必死の試みなのではないか。私たちにとって死はとても恐ろしく不快なものなので知識のすべてを機械にゆだねてしまうのではないか。一人の人間が苦しんでいる顔よりは機械の方が遠い存在だからだ。患者の苦しむ顔は、人間は万能ではなく限界や失敗があることこれが一番重要なことだが人間は死ぬものだということを思い出させてくれるのではないだろうか。』というような文章を書いています。

 われわれ医療現場に必要なのは「明るさ」ではないでしょうか。死ぬ間際の人たちに対して、デーケンもそうですが明るいです。われわれは暗いイメージをホスピスに持っています。ガンの末期の病棟は暗いです。でも欧米のホスピスは明るいです。なぜ明るいのかということにとても驚きます。文化の程度なのか、戦前の物質的な文化を追い求めた結果なのかどうかはわかりませんが、もう一度言いますが死に行く人たちのあるいは障がいを持ってわれわれと一緒に生活していく人たちがもっと明るく接するべきではないでしょうか。眉間にしわをよせて悩む表情で彼等と接する必要はないと思います。

 日本のホスピスの先駆者である柏木先生がこんな話をしてくださったことがあります。午前中の回診のときにある乳がんの方の部屋に行ったときに、40歳前の女性ですが「息子がね」と言ったときに先生は昼から用があり回診を早くあげたかったので「息子さんが昨日来ておられましたね。立派な息子さんですね。大丈夫よ。」というと、そのあと彼女は一週間口を聞いてくれなかったそうです。一週間ぐらいたって彼女が「あの時先生はお忙しかったのですね。」と言ったときにもう立場がなくてどう答えていいのかわからなかったそうです。日本のホスピスをリードした柏木先生が私に言ってくれました。「川合さん慰めの言葉なんて持ちえませんよ。唯一言えることは、おっしゃったことをそのままなぞって自分の口の中に戻すことです。そしてなぞるときに笑顔でなぞりたい。」とおっしゃいました。もし助言できるとしたら、彼・彼女らが言ったことに対して論評を加えるのではなく「息子がね」とおっしゃったときに「ご子息がいらっしゃるのですか。」といえばよかったのかなと。「私が死んだら」に対して「死ぬなんて考えたらいけませんよ。」というのではなく、もうホスピス病棟に入っているのですから「あなたが亡くなった後のご子息のことを考えておられるのですね。」というような言葉しか持ち合わせていません。そのときに深刻に眉間にしわを寄せて聞くのと明るく「そう」と、馬鹿みたいな表現になってはいけませんが、というようなことではないかと、10年ほど前に先生が私に話してくださいました。

 今から5年ほど前にこの会場で勉強会をしたときにナオミ・フェイルの話でバリデーションのことを聞きました。 バリデーションの何がすごいかというとただ聴くことです。聴いて聴いて聴きまくることです。われわれプロが忙しさにかまけすぎているのではないでしょうか。柏木先生がおっしゃったように、昼から出ていかなければいけないので午前中の回診を短くしなければいけないということがあっても、こういう仕事をしている限りそのような聴く時間は必要だと思います。死にいく人たちあるいは障がいを持った人たちとわれわれが本当の意味で、心のユニバーサルデザインを持つためには、私が経営者・管理者とするならば皆さんのように現場のフロントで働いている方々に「聴くための時間」を提供する制度をつくらなければならないと思います。


まとめ

 去年から審議会にデビューしましたが、時々申しあげるのは、よく行政側の意見として走りながら考えようとおっしゃいますが、これだけ制度が疲弊してすべてを改革しなくてはいけない時期にはもうそろそろ止まって考えてみませんかということです。財政のバランスをとるためにそれはそうでしょうけれど、どこかをとってどこかを減らさなければいけない。もう少し広い意味で立ち止まって考えてみませんかと審議会で発言させてもらっています。
 門の中にいて耳だけ出して安全なところから聞く、これはまさしく今の審議会・国の体制です。私は政策を批判するわけではありません。現場で皆さんがしていることは、徳のある意見、変な表現かもしれませんが障がいのある方やいろんな方々が自分の経験で話されることは徳のある話だと思います。徳のある話を耳でお聞きする、ここには門構えはありません。安全なところで聞くのではなく、毎日皆さんがしているように現場で話を聴く時間を制度は許していないところに、先ほどの制度が弱っている人たちを規制するのではなくその人たち、(私もそうなるでしょう。たとえば今会場から出て交通事故にあうかもしれません。障がいを持つかもしれません。私は高血圧ですから、もしかして1分後に倒れるかもしれません。右半身が不随になるかもしれません。何が起こるかわかりません。)そういうときに「彼ら」ではなく「私たち」が、選択できる制度を提供することが日本社会保障の根幹ではないかと思います。老人保健施設が今まで中間施設という立場でどっちつかずになり卑下されてきたように思われていますが、私は中間施設という強みでもって全国の社会保障制度のことをもう一度考えてみませんかといろんなところで発表していきたいと思っています。話したりない点もありますが、気持ちを斟酌していただいて「われわれは聴くことから始めませんか」ということが私の今日の問題提起です。


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