学校教育
 

● 新政府の学校教育 ●


年代学校内容
明治元年徳川家兵学校付属小学校近代小学校の先駆は、沼津に移住した旧幕臣の手で創られた。
明治2年番組小学校京都府の上京第27番組小学校を開業。
同年末までに市内各番組を母体に合わせて64小学校を開校。
明治4年亜米利加婦人教授所幼稚園的施設の登場は、3人の婦人宣教師によって横浜に開設された。居留地における混血児問題の解決をめざして創められた。
明治5年学制全国を大・中・小学区に分け、まず大学区を8、各大学区に32中学区、合計256中学、各中学区に210小学区、合計53,760小学を開設するというプランを立てた。理想面ではアメリカの教育思想の影響を受け、制度面ではフランス学制に学んだ。「学制」は小学校の一種として幼稚小学をあげ、学齢未満の幼児を保育する施設としたが、現実にこの名称を冠した学校は一校も登場しなかった。幼稚小学のモデルはイギリスの幼稚学校もしくは、フランスの育幼院とされる。

尋常小学校
 下等小学は6歳から9歳(綴字、習字、単語、会話、読本等)
 上等小学10歳から13歳(史学大意、幾何学、化学大意等)
上下二等を合わせて計8年間を必ず卒業する強制教育であったが、4年制の普及すら満足できない実情。

明治7年子守学校子守ゆえに就学できない子どもたちを対象にした学校。
子守に背負われた乳幼児も無視できなかった為、学校に来て当番制で保育をして、当番でないときは、授業を受けるというシステムをとっていた。
明治9年東京女子師範付属幼稚園明治6年に開設。文部省のイニシアチブになるモデル幼稚園であっただけに、幼稚園の本質や就園年齢、付添人、保育科目、クラス編成、保育時間など細部にわたって規定された。しかし、入園者は皇族や貴族、政府高官、財閥などの特権階級の子女で、一般大衆には無縁であった。
明治11年盲・聾学校京都盲唖院を開校。上京区第19番組小学で2名の唖生を教授、その後1名の盲生を教授したが個人的な献身では大した効果を望めず、独立した学校施設としてできたのが盲唖院である。
明治33年の改正「小学校令」で、盲唖学校を小学校に付設できるとした。
大正12年「盲学校及聾唖学校令」で、小学校より分離して、設置義務は都道府県となり、内容が充実された。
明治14年小学校教則綱領初等科・中等科各3年、高等科2年に3分された。
明治19年小学校令尋常小学校4年制、高等小学校4年制の二段階に分ける。
義務教育が法制上あきらかになる。41年に6年制となった。
明治39年滝乃川学園石井亮一が東京に精神薄弱児の教育施設を創設。渡米して、この方面の先駆者であるセガン夫人の教授法を学んでいる。

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