学校教育
 

● 学校は義務なのか ●


 日本では毎日のように、いじめ・自殺・登校拒否・体罰・少年犯罪などのニュースを聞く。
その根底にあるのが学校にあることに気づかざるを得ない。なぜ、それほどに学校にこだわるのか。教師の資格を持った人にしか教育はできないのだろうか?
学校という閉鎖的な場所に参加する以外、子どもたちが学ぶ場所はないのだろうか?
子どもの福利を保障するための「教育」が逆に子どもたちを苦しめている。
「どうしたら、子どもたちを学校に戻せるか」ではなく、「教育とは何を目的にどのような方法でおこなえばよいのか」という根本的な課題を徹底的に話し合う必要があるのではないでしょうか。

 前回は、日本における学校の歴史を振り返りましたが、今回は、欧米などで行っている教育と比較しながら、これからの日本の教育に必要なことは何なのかを考えてみたいと思います。

〜学校は義務なのか〜

 今や、日本では、登校拒否を含め学校に通っていない子どもの数は小中学校で18万人といわれ、いじめの件数、高校中退件数を含め、その数は世界の常識をはるかに超えています。
 94年4月に、永年の運動の成果として、国会で「子どもの権利条約」が批准され、日本も世界で158番目の条約締約国の仲間入りをはたしました。しかし条約の批准後も、子どもたちを取り巻いている学校を含めて、社会状況に大きな改善はされず、逆に教員等によってそれが奪われ、踏みにじられているのが現状ではないでしょうか。
 今回、中央教育審議会で発表されたまとめでは、「生きる力」をつける具体的的方法として、「個に応じた教育」をこれまで以上に推進するため、学習集団の規模の縮小、指導方法の柔軟な工夫改善、教育課程の弾力化を挙げています。
 さらに、ゆとりある教育環境のなかで、ゆとりある教育活動を展開するとして、「子どもたち一人ひとりが大切にされ、教員や仲間と楽しく学びあい。。。」とあります。

 欧米をはじめとして、カナダ、オーストラリア等が、教育において、ここまで子どもたちを追いつめないでいるのは、まさに、この「生きる力」の基本的資質・能力を育成する教育の出発点は「家庭である」、とした視点に立ち、親の教育権を認めたホーム・ベイスド・エデュケーションをはじめとした数々のオルタナティブ教育が義務教育として存在し、生涯学習の視点(資格、年齢を問わず、いつでも学びたい時に高校・大学に入学できる)にたって、いわゆる既存の学校教育とそれらの教育間で自由に行き来ができるからです。
 そこでは、中央教育審議会が指摘した「知識の詰め込みから子どもたちが主体の一人ひとりを大切にした教育方法」が実践されています。

 このように、欧米諸国では、義務教育とは学校教育だけを指すのではなく、ホーム・ベイスド・エデュケーションをはじめとした数々のオルタナティブ教育を含んでいます。
 学校教育はそのひとつの方法で、本来国による教育のサービスなのです。サービスの提供である学校を利用しようと、そうでなかろうと、その選択は利用する側に権利があり、そのサービスを使わなかったことによる差別につながるのはおかしいことなのです。
 教育方法の選択のない現状のままで、学校教育を普通教育と規定し、学校教育を受けない子どもたちの責任を子どもたちや家庭に転嫁し、不登校の子どもに対する扱いは、中等・高等教育への進学の難しさ、就職難、異常視という、子ども権利侵害でしかありません。

 同質志向を排除し、個を大切に、個性を尊重する態度や、その基盤となる新しい価値観を社会全体が一体となって育てることが重要ならば、義務教育における国の役割は子どもたちに対してあらゆる教育方法の提示サービスに徹することで、それを保障することが義務ではないでしょうか。

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