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機関誌 「松樹会ニュース」 Vol.26より

 

「典子さん」

      田邊 弥生

 今年の始め、私と同い年の六十を目の前にして典子さんはこの世を立派に卒業して天国へ旅立っていかれました。
 肺ガンでした。でもこの病気の厳しさから目をそらさずに、その上に周りの人に優しさや気使いを常に忘れない人でした。
 私が典子さんと知り合ったのはギター教室です。五十才を過ぎてから始めた私と違い、若い頃からされていてとても上手なのに一緒に弾こうと声をかけて下さったりしました。

 一年程前からふとした事から老人ホーム等へ訪問コンサートにも誘って頂くようになりました。五人の仲間で行く時はとても楽しく嬉しい一日でした。典子さんは病気が進んで胸の腫瘍が大きくなるにつれギターを抱えるのが辛くなってくると、工夫して専用のマットを使い人に喜んでもらいたいと、頑張っておられました。それも次第にかなわなくなると、今度はハーモニカに挑戦です。たまたま、私が少しだけハーモニカをしてい たので一緒にドレミから練習を始め、すぐに曲も吹ける様になりました。中でも一番のお気に入りは埴生の宿の二重奏でした。二人で一つの楽譜を肩を寄せ合い見ながら、お互いの音を聞きながら吹き、きれいにハモッた時は本当に楽しく至極の一刻でした。

 それも次第に出来なくなって来ましたが、次にどうされたと思いますか?俳句です。ベッドから起き上がりにくくなって、手もパンパンに腫れてペンも持てなくなってくると、力の要らない筆で書こうと言われるのです。この様にいつも出来なくなった事に目を向けるのではなく、少しでも出来る事に目を向けて考える人でした。例えばまだ在宅で療養されている時は「腫瘍が背中でなく胸で良かったヮ」と言われるので、私が「どうして」とびっくりすると「前だから自分でガーゼ交換ができるから」と、御主人にガーゼ交換をさせなくて済むと気使いをされていました。又入院してからは「同じ肺ガンでも外に出る症状で良かったヮ」と。私が「どうして?」と聞くと「こうしてベッドに寝たままでも看護婦さんがガーゼ交換の為に余分に顔を見せてくれはるんョ」と嬉しそうに答えられるのです。

 それから今思い出しても可笑しいのは私が病院へ見舞って帰りに迷い子にならない様にと、私の手を引いて「こっちやで」と途中迄送って頂いた事。又自分の好物なのに皮をむきトマトを食べさせて頂いた事です。どっちが見舞いに来たのか判らないなと思いました。この様にいつも人を世話するのがクセになっていた典子さんに甘えさせてもらっていたなと思います。
 さて、典子さんが居なくなっても四人で訪問コンサートは続けるつもりです。姿こそ見えませんがそれぞれのメンバーの胸の中に、しっかり入っています。メンバーの一人は典子さんを想い曲を作られました。哀しいけれどとてもきれいなメロディーです。もう一人のメンバーはこの曲を携帯電話の着信メロディーにしました。私はそれが出来ないので一日に何度も口ずさんでいます。

 私も何時かこの世をおさらばする時が来ます。その時、上から見ていて典子さんが「こっちョ。こっちョ」と呼んでもらえ、そばに行けるように典子さんの生き方を目標にして生きたいと思っています。 そして又、二人で埴生の宿を二重奏をするのが楽しみでもあります。 待っていてね。典子さん。

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